|
|||||||||||||||||
二荒山神社1 古くより、霊峰二荒山(男体山)をご神体として仰ぐ神社で、日光の氏神様。 日光市内には奥宮(男体山山頂)、中宮祠(中禅寺湖畔)、 そしてここ御本社の三社が鎮座している。 御祭神は二荒山大神、大巳貴命、田心姫命、味耜高彦根命の親子三神を祀る。 一の鳥居 二荒山神社の入口、一の鳥居がある。 その側にはむすび大黒様が鎮座しています。 その背後には縁結びの神木があり、願掛けをしている。 神門 日光開山の祖とされる勝道上人の男体山登頂1200年を記念して、 上神道にある楼門とともに昭和57年に建立された。 神門をくぐると親子杉、夫婦杉が迎えてくれる。 神楽殿 明治17年(1884)に建設され、大黒様が鎮座している。 毎年4月2日に国家繁栄の神楽が奉納される。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
二荒山神社2 楼門 日光東照宮から続く上神道側の入り口に建つ。 勝道上人の男体山登頂1200念を記念して昭和57年(1982)に建立した。 楼門をくぐると、麻掛大黒様や恵比寿神がお出迎え。 銅鳥居 楼門の次にある東側の入口に当たる鳥居。 寛政11年(1799)に造り替えられた。 社務所前ではつつじと八重桜が迎えてくれた。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
二荒山神社4 本殿(重文) 元和5年(1619)徳川秀忠公が造営寄進した。 八棟造で安土桃山時代の建築様式を残している。 化け灯籠(重文) 鎌倉時代の正応5年(1292)に作られた。 夜更けに火を灯すと、様子が怪しげに見えるので、 警護の武士が化け物と間違え切りつけたといわれている。 滝尾社 二荒山神社の別宮・瀧尾神社の御祭神・田心姫命を祀る。 子授け、安産の神様。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
二荒山神社5 大国殿(重文) 延享2年(1745)の建立。 宝形造で招き大黒様をお祀りしている。 また、宝刀・太郎丸を展示している。 丸石 その名の通りの円い形の奇石。 二荒山の前身、満願寺に由来の石とか。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
二荒山神社6 朋友神社(重文) 学問・知恵の神様、少彦名命を祀る神社。 宝暦年間(1751~63)ごろの建立。 二荒霊水 神苑奥に霊泉が湧き出している。 「薬師の霊水」といわれ、眼疾に霊験がある。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
二荒山神社7 二荒山神社の神苑は広く、奥には日光連山遥拝所がある。 ここから遊歩道が延びていて、ところどころに石の七福神が置かれている。 ここは大黒天を祀る神社、そして七福神も・・・ ここの大黒天は米俵に「福」の字が書かれてあり、お気に入り。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
大猷院1 常行堂(重文) 嘉祥元年(848)慈覚大師円仁によって、延暦寺「にない堂」を模して建立された。 本尊は宝冠をいただき孔雀に乗った宝冠阿弥陀如来です。 常行三昧という仏様の周りを歩きながら念仏を唱える修行が行われました。 現在では回向(先祖供養など)の道場となっている。 法華堂(重文) 現存する法華堂は唐様(禅宗様)の建物で、 江戸時代初期の慶安2年(1649))の再建。 創建当時の雰囲気を色濃く残しており、渡り廊下を含め文化財に指定されている。 大猷院 大猷院とは徳川三代将軍・家光公の廟所で、 22件の国宝・重文が建っており、315基の灯籠が建つ。 祖父「家康公」を凌いではならないという遺言により、 金と黒を使用した重厚で落ち着いた造になっている。 入口の仁王門から拝殿・本殿までの道のりは天上界に昇っていくような印象になっている。 仁王門(重文) 大猷院の正門に当たる門で阿吽二体の仁王像が守る。 承応2年(1653)建立で、銅瓦葺切妻造りの八脚門。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
大猷院2 手洗舎 仁王門をくぐると石畳の広場に水舎がある。 天井にはほとんど消えかかっているが、狩野安信の龍が描かれている。 その龍が水盤に映ることから「水鏡の龍」と呼ばれている。 展望所 石段を上る途中に展望所がある。 天界から人界庭園を眺めてくださいと書いてある。 展望所の下に見える灯籠は全国諸大名から寄進されたもので、 その総数は315基にも上る。 家格の低い大名は二家格の高い大名や天門から先へは進むことが出来ず、 代わりに石灯籠を寄進した。 家格の高い大名や徳川家は青銅の灯籠を寄進した。 |
|||||||||||||||||
二天門 |
|||||||||||||||||
持国天 |
広目天 |
||||||||||||||||
雷神 |
風神 |
||||||||||||||||
大猷院3(二天門) 日光山の境内にある門では最も大きな門。 屋根下の豪華な装飾は色鮮やかで目を奪われる。 中央に係る「大猷院」の扁額は第108代天皇・後水尾上皇の揮毫。 二天門に祀られている像は緑色の顔をしているのが持国天。赤い顔が広目天です。 裏側に回ると、風神と雷神の像がある。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
大猷院4(夜叉門) 二天門の先にあるのが夜叉門です。 古代インドから伝わる鬼のような姿の神様。 赤い体が「毘陀羅」、緑色が「阿跋摩羅」、 白い体が「犍陀羅」、そして青い体が「烏摩勒伽」という。 四体が大猷院を守護しています。 青い体の夜叉の膝に小さなゾウがある事から 「膝小僧」という語源になったといわれている。 また、破魔矢を持っていることから、破魔矢の始まりとも言われている。 鐘楼鼓楼 二天門を潜り抜けて石段を上り詰めた途中に建つ。 右側にあるのが鐘楼、左側にあるのが鼓楼。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
大猷院5 唐門(重文) 承応2年(1653)の造営。 向唐門唐破風付総金箔張り・押し、二脚門。 金閣殿の前にそびえるように立つ豪華絢爛の門。 唐門からつながる左右の袖塀には 精巧緻密な鳩の彫刻と秋の七草が彫刻されている。 金閣殿(国宝) 大猷院の中核の建物で、前方は拝殿、後方が本殿。 それをつなぐ相の間からなる権現造で、随所に金彩が施されている・ 京都の金閣寺、平泉の中尊寺金色堂と並び、三大黄金建築とされ国宝に指定されている。 拝殿 法要に使われる部屋で、広さは46畳。 拝殿の壁一面に描かれた絵は狩野探幽、永真兄弟による「唐獅子図」です。 また、天井には龍の絵が140枚描かれている。 皇嘉門 大猷院金閣殿のとなりには「皇嘉門」と呼ばれる門がある。 門の向こうは家光公の墓所である。 奥の院には宝塔があり、家光公が眠っている。 |
|||||||||||||||||
栃木歴史散歩 | |||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||