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神橋(重文) 日光山内の入り口に架かる木造朱塗りの美しい橋。 勝道上人が日光山を開く際、大谷川の急流に行く手を阻まれ、 神仏の加護を求めたところ、深沙王が現れ2匹の蛇を放し、 橋となったという伝説が残る神聖な橋。日本三大奇矯の一つになっている。 深沙王堂 太郎杉の根元に祀られているのが深沙王堂。 深沙大王は毘沙門天の化身といわれ、その昔、仏教経典を求めて インドに向かう玄奘三蔵を危機から救ったといわれている。 現在の社殿は昭和53年に再建された。 太郎杉 神橋北側にある大杉。 高さ43m、幹回り6mあり樹齢550年といわれる巨木。 |
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四本龍寺 本宮神社の裏手にある日光山発祥となる寺。 天平神護2年(766)勝道上人が草庵を築いたのが始まり。 輪王寺の前身となる寺。(創建当時は紫雲龍寺といった。) 大同2年(807)下野国司、橘利遠が観音堂を建立した。 現在の観音堂は貞享元年(1684)焼失したが、再建され国の重要文化財になっている。 本尊は千手観音で、脇尊は不動明王、五大尊、勝道上人を祀る。 三重塔(重文) 元は現在の東照宮の境内に源実朝の菩提のため建立されたといわれている。 現存する三重塔は正徳3年(1713)日光大造営の時、現在地に移転建立された。 |
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青龍神社 弘法大師空海の弟子が仏法の守護として、京都醍醐の青龍神を移して祀ったのが始まり。 水を司どる神であることから、日光山の例大祭の時、晴天を祈って祈晴祭が行われる。 祭神は大海津見命で、本町の氏神様。 参道石段の中ほどにいる狛犬は1600年代に造られ、日光で一番古い狛犬といわれている。 |
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延命地蔵尊 勝道上人一行が二荒山登頂の途中、田母沢の急流を前に難儀していると、 地蔵尊が現れ、一行を無事に対岸へ渡し、山頂を極めることが出来た。 上人は地蔵尊に深く感謝し、湯元温泉に地蔵菩薩を刻んで安置。 その後、弟子たちが田母沢の地に石の地蔵尊を造像して、 本堂などを建立して、日夜謹行したという。 釈迦堂 創立年代は不詳。山内の仏岩谷の開山堂脇から 寛永18年(1641)妙道院とともに現在地に移された。 妙道院は明治初年に途絶えた。 本尊は釈迦如来座像で脇侍として文殊、普賢の両菩薩を安置し、 天海大僧正の像も祀っている。 寛永20年(1643)天海が上野東叡山で遷化。 遺骸はこの釈迦堂に運ばれ、安置、法要が営まれた。 |
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釈迦堂2 釈迦堂の裏には釈迦堂殉死の墓がある。 徳川家康・秀忠縁故の家臣殉死者19人、家光の家臣殉死者5人をはじめ 徳川譜代の家臣の墓が残る。 また、堂の裏手には妙道院歴代住職の墓20数基も残る。 |
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八幡神社1 天平神護2年(766)勝道上人がここに草庵を結び、 吉田諸清に命じて祈願したところ、夢の中に、天から丸石が飛んできて止まった。 そこで飛石八幡として社殿を建て、これを祀った。 後に、家光が社殿を造ってからは幕府の修繕社となり、近郷近在の深い信仰を受けた。 |
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八幡神社2 創建年代は不明で、誉田別命を祀る。 「丸石」は勝道上人が草庵を結び、祈願したところ、 夢の中に天井から声が聞こえ、丸石が飛んできて止まった。 これが八幡自在天であった。この由緒から、願いが叶うといわれている。 |
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入口 |
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田母沢邸 |
玄関 |
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八重桜 |
シャクナゲ |
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つつじ |
白藤 |
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日光田母沢邸 明治期の銀行家・小林年保の別邸に旧紀州藩江戸屋敷の一部を移築して完成。 明治32年(1899)大正天皇(当時皇太子)の静養所として造営された。 平成19年記念公園となって一般公開。 公園内にはアズマシャクナゲ、ヤマツツジ、ミツバツツジなどが咲き競っていた。 |
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浄光寺1 還源山明覚院浄光寺という天台宗の古刹。 延応2年(1240)日光山の本坊として光明院が創建された。 応永年中(1400頃)光明院が断絶した時、仏岩にあった光明院の六坊中 浄光坊を善女神谷に移し、一山の菩提寺であった仏岩の往生院を合併させ、 寛永17年(1640)現在地に移転した。 |
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浄光寺2 境内は広く、文化財がたくさんある。 環源山の山号は幕末三筆の市河米庵お揮毫。 日限地蔵は日を限ってお願い事をすると必ず叶えられるといいます。 このほか、導き地蔵、地蔵御首などがある。 |
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慈雲寺 承応3年(1654)天海僧正の弟子の一人、晃海僧正が建立した。 明治35年(1902)の大洪水で流され、昭和48年(1973)に復元された。 境内の憾満ヶ淵に沿った道には化け地蔵と呼ばれる地蔵が約70体並ぶ。 憾満ヶ淵は男体山からの噴出した溶岩によってできた奇勝で、 大谷川の急流が不動明王の真言の一節に聞こえることから名がついた。 |
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栃木歴史散歩 | |||||||||||||||||
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