1980年日本映画。監督は『学校』『息子』『幸福の黄色いハンカチ』の山田洋次。出演は、渥美清、倍賞千恵子、伊藤蘭など。日本を代表する長寿シリーズ『男はつらいよ』の26作目。
元キャンディーズの伊藤蘭をマドンナに迎えた本作は、亡くなった仲間の親代わりとしてマドンナを見守る寅さんの、娘を見守る親ような愛情が描かれ、男女の恋愛とは一味違った魅力が楽しめる作品です。今回もすみれの恋人の登場によって失恋のような状況になりますが、失恋した男の悲しみというよりは、子供を叱る親の愛情のような悲しみが感じられ、シリーズ中で一番寅さんの親心が感じられる作品になっています。また、両親のせいで、学業を断念したすみれが、親を恨む気持ちも描かれていますが、本当はすみれを心から愛していたという事を知って誤解が解ける展開は、親子の間でも誤解が多いこと、子供の幸せを願わない親はいないという事を教えてくれます。すみれが定時制高校へ通うという物語の流れの中では、定時制高校の意義や、人を正しい方向へ導いてくれる学問の重要性を痛感させてくれるようなシーンもあり、啓発的なメッセージも込められています。キャンディーズ解散後女優として活動をはじめたばかりの伊藤蘭さんの迫真の演技が、すみれというキャラクターを素晴らしいものにしてくれているのも見逃せません。サイドストーリーとしては、博とさくらが一戸建てを購入し、その家に寅さんの部屋を用意しているなど、泣かせるエピソードがあり、定時制高校に関する物語には、この後、山田洋次さんが監督する『学校』のコンセプトの片鱗が見られます。寅さんの恋愛を期待している方にとっては、ちょっとアテが外れる部分もありますが、前作までの作品とは違った感動のある名作になっています。
すみれの父親は、自分の愛情を言葉でも態度でも示さなかった為、すみれに誤解されたまま死んでしまいましたが、こういう事は、現実にもよくある事です。私の身内にも、強い愛情を持っているのに言葉や態度に表さず、親しみのつもりで憎まれ口を叩いては誤解を招くような人間がいて、何かとトラブルの種になっています。親しい間だから許される冗談として毒舌を発揮してしまうと、本当に相手を傷つけてしまう事もありますし、誤解から憎しみが生まれてしまうと人間関係が壊れてしまいます。この作品で描かれているように、誰かが、後で真意を伝えてくれれば誤解も解けますが、伝わらない場合は死ぬまで誤解したままで終わってしまいます。ちょっとした誤解から死ぬまで恨まれたり憎まれたりしたら、最悪です。身近な人間に対しては、気恥ずかしさもあって素直に愛情を表現できない事もあると思いますが、出来るだけ言葉や態度で伝えておいた方がいいでしょうね。
お前たちの喜ぶ顔が見たかったんだ
博とさくらの喜ばそうと新築祝いを奮発した寅さんですが、あまりにも額が多いのでビックリした博は、受け取ろうとせずに、その事が原因でケンカになってしまいます。金の出所は源ちゃんの財布なので褒められませんが、妹夫婦の喜ぶ顔がみたいという善意が寅さんらしくていいですね。誰かを喜ばせてあげたいという気持ちは、人間の美しい善意なので、今回ばかりは寅さんが可哀想な気がします。
恨むのも当たり前だけどな、赦してやんな
すみれは、父親が極道者だったせいで学校を中退しなければならず、父親に対していい感情を持っていませんでしたが、父親は心の中では、すみれを誇りに思い愛していました。父親の真意を知ったすみれは、父親を赦す事出来ると思いますが、日本人は身内に厳しく、愛情を持っていても本人の前では憎まれ口をきいてしまうような人が多く、第3者から本心が伝わるような事も多いような気がします。誰かを赦す気持ちは人間として最大の美徳ですから、できるだけ広い心で赦すように心がけた方がいいかもしれません。
便所を美しくする女性は、美しい子供を産む
すみれの通う定時制高校の授業で、素晴らしい詩が紹介されています。映画の中でも生徒が感心してため息をついていますが、この詩に出会えるだけでも、この作品は価値があると思います。
こっちが嫌だなと思ってるから、むこうもコノヤローだよ
寅さんが先生を殴ったエピソードが紹介されていますが、こういう事ってありますよね。嫌いな奴を睨みつけたり無視したりすれば、相手もその悪意に気付いて、こっちに嫌悪感を持ちます。誰かを嫌ったり憎んだりして悪意を向ければ、相手も同じように悪意を持ってしまいますから、結局自分で敵を作ってしまい、自分で自分の首を絞める結果になるんでしょうね。。