実は、プログレ系の実力派でした。
元サンタナのメンバーだったグレッグ・ローリー(Key・Vo)、とニール・ショーン(G)が中心となり、ジョージ・ティックナー(G)、ロス・ヴァロリー(B)、エインズレー・ダンバー(Dr)の5人のメンバーで1975年にアルバム『宇宙への旅立ち』でデビュー。2作目をリリースする前にギタリストのジョージ・ティックナーが脱退し、4人編成のバンドとして活動しますが、この頃、ヴォーカルは主にグレッグ・ローリーが担当していましたが、ヴォーカルメインではなく、プログレッシブロックやジャズロック系のテクニカルな演奏を得意とし、ボストンなどのような、宇宙空間を表現するような独自の音楽性のバンドでした。その演奏力の高さから、プロのミュージシャンには一目置かれる存在でしたが、ヒット曲に恵まれず、ヒット曲を狙えるポップな方向性に転換する為、ヴォーカリストとしてスティーブ・ペリーが参加しします。その後、バンドのポップ路線を嫌ってドラマーのエインズレー・ダンバーが脱退、後任のドラマーとしてスティーブ・スミスが参加します。『お気に召すまま』のヒット曲を生んだアルバム『ディパーチャー』までは、グレッグ・ローリーもヴォーカルを担当していましたが、バンドが世界的な地位を獲得する『エスケイプ』では、グレッグ・ローリーが脱退し、ジョナサン・ケインがキーボーディストとして参加、作曲家としても非凡な才能を発揮したジョナサン・ケインの貢献もあり、アルバム『エスケイプ』はシングルヒットを連発し、ジャーニーは世界のトップバンドの仲間入りを果たします。続くアルバム『フロンティアーズ』も大ヒット、ジャーニーの活動は順調のように見えましたが、ライブツアーを嫌うドラマーのスティーブ・スミスが脱退、後にベースのロス・ヴァロリーも脱退し、ニール・ショーン、スティーブ・ペリー、ジョナサン・ケインの3人になったジャーニーは、『レイズド・オン・レイディオ・時を駆けて』をリリース、全米チャートの4位まで上昇しましたが、『エスケイプ』の頃のような人気はなくなり、このアルバムのツアーを最後にジャーニーは活動を停止します。各メンバーのソロ活動も目立たなくなった1996年、ニール・ショーン、スティーブ・ペリー、ジョナサン・ケイン、ロス・ヴァロリー、スティーヴ・スミスのメンバーでジャーニーはアルバム『トライアル・バイ・ファイアー』を発表し全米チャート3位を記録しますが、全盛期ほどのイマジネーションが感じられるアルバムではなく、ヴォーカルのスティーブ・ペリーとドラマーのスティーブ・スミスが脱退し、現在は新メンバーを加えて活動中です。
産業ロックの代表?
80年代、産業ロックの全盛期に人気の頂点にあり、売れる音楽=産業ロックの代表として音楽評論家に酷評されてきたジャーニーですが、売れ曲を量産しようという意図というよりは、ジョナサン・ケインの作曲家としてのセンスと、それを歌いこなしたスティーブ・ペリーの組み合わせが功を奏した結果が大ヒットにつながったと考えた方がいいかもしれません。ジャーニーのライブではニール・ショーンのギターソロ、スティーブ・スミスのドラムソロなど、プレイヤーとしての力量を発揮できるステージ構成で、プロのミュージシャンからも、演奏力の高いバンドであるという評価もありますし、心から恋人に対する愛情を表現した歌詞を書いたジョナサン・ケインにとっては、その歌詞を売れ線狙いだ!と批判された事は耐えがたいことだったかもしれません。ファッションセンスは最悪のバンドでしたが、演奏力も、曲も良かったので、産業ロック扱いは、気の毒な気がします。しかし、ジャーニーに限った事ではありませんが、80年代に人気のあったバンドはなぜこんんなにファッションセンスが悪いんでしょう?ジャーニーのファンの方でも、彼らのファッションをマネしようとする人はほとんどいないと思います。