インテリ?ヤッピー?80年代を象徴する天才集団
ロードアイランドデザイン学校出身のデヴィッド・バーン(Vo.G.)、クリス・フランツ(Ds)、ティナ・ウェイマス(B)の3人がバンドを結成、1977年にジェリー・ハリソン(G.Key)が加入し4人編成のバンドとして、1977年にアルバム『サイコ・キラー'77』でデビュー。セカンドアルバム『モア・ソングス』以降、プロデューサーにブライアン・イーノを起用してから、アフリカンビートを導入したビート重視のサウンドと、トーキングヘッズのメンバーのセンスが見事に融合し、80年代を代表するバンドとして、特に評論家や同業のミュージシャンから高い評価を得るようになり、アルバム『リメイン・イン・ライト』などロック史に残る名盤を残します。デヴィッド・バーンと他のメンバーによる確執から1991年に解散してしまいますが、2002年にはロックの殿堂入りを果たし、一発屋が多かった80年代のミュージシャンの中では、数少ない実力派バンドとして、今でも高い評価を得ています。
70年代後半のパンクムーブメントの影響もあってかパンク系のバンドというイメージで認識されていましたが、メンバー4人のうち3人がデザイン学校出身のインテリで、反体制的なイメージのバンドではなく、どちらかと言うとニューウェーブというジャンル分けの方が正しいような気がします。現代のトランスミュージックのアーティストにも参考にしてもらいたい強烈なアフリカンビートに、インテリ集団らしく綿密に計算された芸術性の高いアレンジ、酔っ払いのサラリーマンが暴れているようなデヴィッド・バーンのヴォーカル。他のアーティストではマネできない様々な要素が融合したサウンドは、売れ線ねらいの一発屋が多く、薄っぺらなアーティストが多かった80年代のロックシーンでは、バンドとしての強い個性、方向性を持ったバンドとして貴重な存在でした。
サウンド的な進化は、プロデューサーのブライアン・イーノの影響も大きいと思いますが、派手さはなくてもバンドのメンバーそれぞれの個性とセンスが十分に生かされたサウンドは、この4人じゃないと絶対に出せないというバンドとしての魅力があり、ポップな曲でヒットを狙おうというイヤラシさが無かったのも好感が持てました。アフリカンビートなどワールドミュージックを取り入れて成功したミュージシャンと言えば、サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンが有名ですが、ポール・サイモンの場合、スティーブ・ガッド、リチャード・ティーなどジャズ、フュージョン系の腕利きミュージシャンにバックをすべて任せて成功した例なので、ちょっとズルイような気もします。しかし、トーキング・ヘッズの場合、アフリカンビートを完全に自分たちのサウンドとして融合させて成功している数少ないバンドなので、そういう意味でも特別な才能があるバンドで、さすがメンバーがデザイン学校出身だけあって、芸術性の高いアルバムジャケットにも感心させられました。
良くも悪くも一番目立っていたヴォーカルのデヴィッド・バーンは、80年代に刊行されたローリング・ストーン写真集にも登場するなど、バンドの宣伝役として重要な役割を果たしていましたが、その分、ワンマンバンドのような印象を与えてしまい、他のメンバーから孤立してしまったようです。今でも関係は修復されず、再結成の可能性は、ほとんどゼロというのが残念ですが、80年代を象徴する音楽性という意味では、再結成の必要もないのかもしれません。80年代、ヤッピーの時代を描いたオリヴァー・ストーン監督の映画『ウォール街』にトーキング・ヘッズの曲が使用されているのも、トーキング・ヘッズが80年代を象徴するアーティストだという事を、オリヴァー・ストーン監督が見抜いていたからかもしれません。