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妻沼聖天山1 妻沼聖天山歓喜院という高野山真言宗のお寺。 日本三大聖天の一つで、治承3年(1179)の創建。 平家物語でおなじみの斎藤別当実盛公が自らの本尊である大聖歓喜天を祀ったのが始まり。 日光東照宮を彷彿とさせることから、埼玉の日光とも言われている。 |
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妻沼聖天山2 第1の門、貴惣門は威風堂々、高さ16mの聖天山第一の門。 重層の特徴ある三破風を組み合わせた豪華な構造で、国の重要文化財に指定されている。 左右には邪鬼を踏みながら建つ二天王像が並ぶ。 第2の門、中門は四脚門で、江戸時代初期の災火の際、唯一焼け残った聖天山最古の門。 貴惣門と仁王門の中間にあり仲を取り持つため、縁結びの中門といわれている。 |
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第3の門、仁王門は万治元年(1658)の創建と伝えられているが、 明治時代の台風により倒壊し、再建された。 左右に控える金剛力士像は室町時代の気風を残す逸品といわれている。 |
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妻沼聖天山4 本殿前には石舞台があり、右に客殿が建つ。 大師堂は平成7年に建て替えられた。 弘法大師をお祀りし、関東88か所霊場の結願所となっている。 このほか、閼伽井堂や相撲場などが並ぶ。 |
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妻沼聖天山5 御本殿は約830年前に建てられたが、何度も修復、再建されたが、 江戸時代初期の災火のため中門を残して焼失。 現在の本殿は江戸中期の宝暦10年(1760)に再建された。 奥殿、中殿、拝殿よりなる権現造で、豪華な装飾が施されている。 大工の棟梁は林正清で、その子正信によって完成した。(国宝) |
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妻沼聖天山6 妻沼聖天山の境内は広く、本殿のほかにも文化財が多くある。 境内社も稲荷神社をはじめ、三宝荒神社、五社大明神などがある。 境内裏には庭園があり、平和の塔などがありゆっくり散策できる。 ところどころにありがたい仏様が建つ・・・ |
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妻沼聖天山7 平和の塔は昭和33年、サフランシスコ平和条約を記念して、 戦没者の供養と世界恒久平和を祈願して建立された。 眼下には軍荼利明王を祀った軍荼利の滝がある。 本殿から本坊に移動途中で、邪鬼がいる灯籠を発見。 邪鬼を踏む灯籠は多いが、邪鬼が迎える灯籠は・・・ |
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妻沼聖天山8 本殿から約200mほど離れた南に歓喜院の本坊がある。 斎藤別当実盛公の子・良応が行者の修行の場として開創した。 十一面観音菩薩が本尊として祀られている。 本坊前の板碑は善光寺式三尊像の板碑で、鎌倉時代の代表的な板碑。 |
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妻沼聖天山9 妻沼聖天山は春はサクラの名所として知られている。 6月の聖天山にはアジサイがそこここに・・・ 静かで壮大な境内にはこの花が似合う。 |
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