1984年日本映画。監督は『学校』『息子』『幸福の黄色いハンカチ』の山田洋次。出演は、渥美清、倍賞千恵子、中原理恵、渡瀬恒彦など。日本を代表する長寿シリーズ『男はつらいよ』の33作目。
『男はつらいよ』シリーズの最大の魅力の一つは、主人公の寅さんの恋愛ですが、様々な恋愛のバリエーションの中でも、この作品のテーマが最もシリアスかもしれません。この作品では、自分を不幸にするような男に惚れてしまったマドンナの悲しい恋愛、極道者を愛してしまったマドンナを心配しながらも、何も力になってやれない寅さんの無力感など、暗い作品になっています。ヤンキー文化が全盛の時代を反映してか、マドンナの風子はツッパリ風の女性として描かれ、中原理恵さんが自然な演技で好演、マドンナの恋人役トニーは、ハンサムなルックスながら極道の風格がある渡瀬恒彦さんが演じていて凄味があり、寅さんと対峙知る場面では最高の緊張感を見せてくれます。とらやの中で、寅さんと風子が口論になるシーンは、『男はつらいよ』シリーズ前作品の中でも最も険悪な雰囲気になっていますし、全般的に暗い内容ですが、タコ社長の娘のあけみの結婚式、初期のシリーズで寅さんの舎弟として登場していた登との再会、逃げた女房を追って北海道までやってきたサラリーマンのエピソードなど、見所の多い秀作です。笑えるシーンが多い作品ですが、『男はつらいよ』シリーズ初期作品のような堅気と渡世人の違いなどが生々しく描かれたシリアスな作品なので賛否が分かれると思いますが、80年代の作品の中では傑作だと思います。ただ、シリアスなテーマで暗くなった雰囲気を、最後にドタバタ劇で収めようとする展開には、ちょっと無理があり、笑えないのが残念です。徹底的にリアリティを追求して、暗い結末にしても良かったような気がします。
私が20歳ぐらいの時に、ミキちゃんという女の子に片思いしていたんですが、美人でスタイルがいいにも関わらず、気取った所が無くて服装も清楚、まるで『男はつらいよ』シリーズに登場するマドンナのような人でした。そんないい娘が、よりによってプレイボーイで有名な男と付き合い始めたという噂を聞いて、寅さんのようにガックリ落ち込みましたが、それからミキちゃんは、だんだん化粧が濃くなり服装も派手になってすっかり変わってしまい、結局すぐに捨てられてしまったそうです。怒り狂った私は、そいつを半殺しにしようとしましたが、名前も住所も分らず、ミキちゃんに聞くわけにもいかず、何もできませんでした。結局、想いも告げられず何も出来ないままでしたが、3年ほど経ってから、恋人らしき人と幸せそうに一緒にいるのを偶然見かけ、ホッとしたのを覚えています。この作品を観ると、必ずミキちゃんを思い出してしまいます。悪い男に惚れて騙されるような女の子って、素直でいい子が多いんですよね。残念ながら・・・。
他人事だと思うな
御前様が、寅さんを笑う源ちゃんを叱りつけます。『男はつらいよ』シリーズの寅さんのマヌケなエピソードを笑って楽しむのもいいですが、他人に迷惑をかけ騒動を起こしてしまう寅さんの人間味溢れる行動の中に、自分の共通点を見つけて反省しながら見ると、娯楽作品としてだけでなく、啓発を与えてくれる貴重な作品として楽しめるような気がします。人間は、他人の欠点はすぐに見つけますが、自分の事を客観的に見て、自分自身の欠点を自覚するのは難しいような気がします。『人の振り見て我が振り直せ』という言葉もありますが、寅さんの行動を見て、自分の行動を正せれば、『男はつらいよ』シリーズの楽しみが2倍になるかも。
どこに居たって、縁がありゃ天国じゃないの
景色のいい所に住みたいとか、海の近くに住みたいとか、人によって憧れの生活環境があると思いますが、結局は、どこで暮らすかよりも、誰と住むかが重要な気がします。心から信頼できる友人や、パートナーと一緒に暮らせば、どこに住んでも天国のように感じられるんじゃないでしょうか。
心配してくれる人がいるの、ありがたいと思わなくちゃ
天涯孤独な人で、友達が一人もいなければ、心配してくれる人が一人もいないなんて事になりますが、ほとんどの人は、家族や友人など、自分を心配してくれている人がいるはずです。落ち込んでいる時や、忙しい時は、そんな人たちの事を忘れてしまいがちですが、自分の事を心配してくれる人には、感謝し感謝の気持ちを忘れないほうがいいですね。
あんな男のどこがいいんだい
誰かに惚れても、その人に恋人がいたら諦めるしかありません。でも、自分が好きになった人の恋人が、その人を苦しめるような悪い人間だったら?こういう経験をしている人は、結構多いと思います。ハンサムな男や美人の女性は、人に愛される事に慣れてしまっていて、恋人を大切にしない人もいるようで、そんな人と付き合ってしまうと泣かされる事も多いようです。客観的に見れば、ロクデナシでも、好きになってしまうと理屈では分っていても、どうしようもないんですよね。
幸せになる恋もあれば、不幸せになる恋もある
本当に心から愛している人と結ばれて幸せになれる人もいれば、愛する人と結ばれても傷ついて不幸になる人もいます。ほとんどの人は、理屈や損得勘定で人を好きになるわけではないので、結果として不幸になってしまう人がいるのは、仕方がないのかもしれません。誰かを本気で好きになれたという事だけでも幸せと考えれば、少しは慰めになるかもしれませんが・・・。