最高のライブパフォーマンス・バンド
ビートルズ解散後、ポール・マッカートニーは、ソロアーティストとして活動していましたが、発表したソロアルバムは、、バンドでのメンバーの個性がぶつかり合って生まれる緊張感や、意外性のあるアイディアという点では、物足りなさの残るアルバムになってしまいました。ビートルズの中心的な存在だったポール・マッカートニーのソロアルバムには、誰もが期待しましたが、リラックスしすぎているという印象が強く、失望したファンも多かったと思います。音楽評論家にアルバムを酷評され危機感を持ったポール・マッカートニーは、彼の妻リンダ・マッカートニー、元ムーディー・ブルースのギタリストだったデニー・レインとともにウイングスを結成します。ウイングスのデビューアルバム『ワイルド・ライフ』は、大ヒットにはならず、評価も低いアルバムになってしまいましたが、次のアルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』は全米ナンバー1ヒットを記録し、次の作品のレコーディングを開始しようとしていたときに、ドラマーとギタリストが脱退してしまいます。ポールとリンダ、そしてデニー・レインの3人のみでレコーディングする事になってしまいましたが、ほとんど全ての楽器を演奏できるマルチプレイヤーのポールが、ギター、ベース、キーボード、ドラムなどを演奏してレコーディングを続け、傑作『バンド・オン・ザ・ラン』を発表、このアルバムはウイングス最大のヒットアルバムになりました。
『バンド・オン・ザ・ラン』の大ヒットで、世界中で人気に火がついたウイングスですが、この後、ギタリストとしてジミー・マッカロク、ドラマーにジョー・イングリシュが加入して、ライブバンドとして爆発的な人気を得ることになります。このメンバーで発表されたライブアルバム『オーヴァー・アメリカ』は、3枚組みで発売されたにも関わらず全米ナンバー1に輝き、ライブ映像を映画化した『ロックショウ』も世界中で公開されて大ヒットしました。卓越したテクニックを持つメンバーが、それぞれの個性を出しながら、ポール・マッカートニーの作ったウイングスの名曲からビートルズの曲まで演奏し、ブラスセクションを加えたバンドは、ライブ演奏にも関わらずスタジオ盤と変わらない分厚いサウンドをステージで再現、ステージでの大規模爆薬の使用などエンターテイメント性も抜群!まさに史上最大のロックショウでした。このメンバーでのコンサートツアーの時期がウイングスの絶頂期だったのは間違いないでしょう。
大規模なコンサートツアー終了後に、ギタリストのジミー、マッカロクとドラマーのジョー・イングリシュがウイングスを脱退、ポール、リンダ、デニー・レインのみのメンバーでアルバムを発表し、後に新メンバーを加えてウイングスとして活動しますが、全盛期の頃の勢いはなくなり、人気の下降と共に解散してしまいます。
ウイングスの全盛期だった70年代中盤のイギリスでは、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、レインボーなどのハードロックバンドの人気が隆盛を極めていた時期でもあり、ポール・マッカートニーも、ハードロックバンドを意識していたように感じられます。ウイングスの代表曲『ロックショウ』の歌詞の中にジミー・ペイジや、レインボーなどの名前が出てきていたり、『オーヴァー・アメリカ』に収録されている『ソイリー』などは、典型的なハードロックナンバーだったりします。ライブでアコースティックセットが取り入れてあったり、ホーンセクションを同行させるなどの個性的な面もありますが、明らかにレッド・ツェッペリンなどのハードロックバンドをライバルとして考えていたようです。面白い事に、後に、ガンズン・ローゼズがウイングスの『死ぬのは奴らだ』をカヴァーしたり、ウイングスにソックリなステージセットでコンサートを行ったりと、ウイングスのライブスタイルは、後のハードロックバンドにも大きな影響を与えたようです。