ブリティッシュ・ハードロックの王道
ディープ・パープルを脱退したリッチー・ブラックモアが、ロニー・ジェイムス・ディオが所属していたエルフというバンドに加入する形で1975年にデビューアルバム『銀嶺の覇者』でデビューしますが、デビューアルバム発表後にロニー・ジェイムス・ディオ以外のメンバーを解雇し新メンバーでセカンドアルバムは製作されます。セカンドアルバム『虹を翔る覇者』からはコージー・パウエルがドラマーとして参加し、この後もベーシストとキーボーディストのメンバーチェンジはあるもののアルバム『レインボー・オン・ステージ』『バビロンの城門』までは、リッチー・ブラックモア、ロニー・ジェイムス・ディオ、コージー・パウエルの3人が核になりブリティッシュハードロックの代表的なバンドとしてヨーロッパ、日本で人気を確立します。しかし、レインボーというバンドを象徴するヴォーカリストだったロニー・ジェイムス・ディオが脱退、アメリカでの知名度が低かった為に、アメリカでのヒットを狙ったアルバム『ダウン・トゥ・アース』では、ヴォーカリストにグラハム・ボネットを起用、ディープ・パープルのベーシストだったロジャー・グローバーが加入、さらにコロシアムUのキーボーディスとだったドン・エイリーが加入し新たなスタートを切ります。グラハム・ボネットの圧倒的なヴォーカルがフューチャーされた『ダウン・トゥ・アース』は今でも評価の高いアルバムですが、このアルバムでシングルカットを狙った『シンス・ユー・ビーン・ゴーン』などのコマーシャルな曲を嫌って大黒柱だったコージー・パウエルが脱退、さらにリッチー・ブラックモアとの不仲からグラハム・ボネットも脱退してしまいます。この後、更にアメリカマーケットを意識した『アイ・サレンダー』では、ヴォーカリストにジョー・リン・ターナーを起用、ドラマーにはボビー・ロンディネリを加えて精力的にライブツアーをこなし、来日公演も行っています。その後もメンバーチェンジを繰り返しながらポップ路線が強化され、デビュー当時のレインボーのファンは失望してしまいますが、リッチー・ブラックモアならではのリフ、ギターソロには熱狂的な人気があり解散するまで日本では人気がありました。
リッチー・ブラックモアのギタリストとしてのカリスマ的な人気と、彼のソングライティングのセンスはハードロックファンの間では絶対的な信頼があり、メンバーが次々に変わってもリッチーの魅力だけでハードロックファンは目が離せませんでした。またバンドの初期にドラマーとして活躍していたコージー・パウエルの存在感も抜群で、ジョン・ボーナム亡き後、ハードロック・ドラマーのリーダーとして、ハードロックドラムの基礎を築いてきました。ヴォーカリストはそれぞれ個性的なメンバーが在籍した為、好みが分かれますが、ロニー・ジェイムス・ディオ、グラハム・ボネットの二人は、レインボー脱退後もハードロック系のバンドで活躍し、ハードロック、ヘヴィメタル・ファンには、理想のハードロック・ヴォーカリストとして認められています。
私個人としてはグラハム・ボネットのヴォーカリストとしての力量、センスが大好きなので、出来ればもう一枚ぐらいレインボーでレコーディングして欲しかったですね。当時の音楽雑誌で読んだんですが、コンサートツアーの初日に髪を短くしてきたグラハム・ボネット大してリッチーの怒りが爆発、グラハムの頭をギターで殴ったんだとか。リッチーにしてみれば、ロングヘアーはロックミュージシャンの象徴で許せなかったんでしょうが、ギターで頭を殴られたら誰でも怒りますよ。まぁ、どっちもどっちなんでしょうけど。今でも仲悪いんでしょうね。
ロニー・ジェイムス・ディオ在籍時のメンバー