レッド・ツェッペリンと並ぶハードロックの帝王
1968年にデビューしたイギリスのハードロックバンドですが、デビュー当時は、当時イギリスで流行っいた芸術性の高いアレンジ、クラッシクのエッセンスを取り入れたアート・ロックやプログレッシブロックのバンドのような音楽性でスタートしました。デビュー当時のメンバーは、ジョン・ロード(Key)
リッチー・ブラックモア(G) イアン・ペイス(Ds) ニック・シンパー(B) ロッド・エヴァンス(Vo)の5人、デビューシングルの『ハッシュ』が大ヒットした事もあってバンドは順調に活動していましたが、70年代に入ってレッド・ツェッペリンなどのハードロックバンドが、ロックファンに熱狂的に受け入れられた事に刺激を受け、ギタリストのリッチー・ブラックモアがハードロック路線へ転向を主張し、ハードロック色を強めた『イン・ロック』が大ヒット、このアルバム以降、バンドはハードロックバンドとして活動するようになります。
黄金期と言われるディープ・パープル第2期のメンバーは、オリジナルメンバーであるジョン・ロード(Key)
リッチー・ブラックモア(G) イアン・ペイス(Ds)に、イアン・ギラン(Vo)、ロジャー・グローバー(B)の二人を新たに加え、アルバム『イン・ロック』『マシン・ヘッド』などの名盤を残し、レッド・ツェッペリンとともにハードロックというジャンルの絶対的な地位を確立します。しかし、有名になりエゴが強くなったのか、または、ツアー疲れのストレスか、それとも両方なのか、メンバーの人間関係が悪化し、イアン・ギラン(Vo)、ロジャー・グローバー(B)の二人が脱退し、後任のメンバーとして、グレン・ヒューズ(B)
デヴィッド・カヴァーデイル(Vo)が加入して活動を続けます。二人の新メンバーを加えた第3期ディープ・パープルは、アルバム『紫の炎』を発表し、ハードロックバンドとしての人気、実力が健在である事を証明しましたが、グレン・ヒューズとデヴィッド・カヴァーデイルが、ソウルやファンクなどの要素をハードロックに取り入れようとしていた為に、バンドの中心人物であるリッチー・ブラックモアと衝突し、結果的にリッチー・ブラックモアが脱退する事になります。後任のギタリストとしてトミー・ボーリンが加入し、ディープ・パープルは活動を続けますが、人気の衰えは明らかでした。トミー・ボーリンは、ギタリストとしての実力、センスは素晴らしいものがありましたが、ハードロックバンドの人気は、ヴォーカリストとカリスマ性のあるスーパーギタリストの存在が大きく、リッチーブラックモアの脱退は、致命的でした。結局、ディープ・パープルは1976年に解散する事になります。
ディープ・パープルを脱退したイアン・ギランは、自身のばんどギランを結成し中堅ハードロックバンドとして活動、リッチー・ブラックモアは、レインボーを結成し、デヴィッド・カヴァーデイルは、ホワイトスネイクを結成、イアン・ペイスとジョン・ロードもホワイトスネイクに加入します。元ディープ・パープルのメンバーは、それぞれ自分のバンドでそれなりの成功をしますが、ディープ・パープルのような世界的な人気には至らず、第2期のメンバーで1984年に再結成しニューアルバムを発表しますが、メンバー間のトラブルで長くはつづかず、ヴォーカリストやギタリストのメンバーチェンジを繰り返しながら活動を続けています。現在はスティーブ・モーズがギタリストとして加入してライブツアーなどの活動をしています。
ディープ・パープルが1976に解散してから、最も日本で人気があったのがリッチー・ブラックモア率いるレインボーでした。このバンドもメンバーチェンジの激しいバンドでしたが、ロニー・ジェイムス・ディオ、コージー・パウエル、グラハム・ボネットなどが在籍し、日本のハードロックファンには絶大な人気がありました。一方、ホワイトスネイクは、アルバム『サーペンス・アルバス・白蛇の紋章』の世界的な大ヒットによって、イギリス、ヨーロッパだけではなく、アメリカでも有名なバンドになりました。リッチー・ブラックモアとデヴィッド・カヴァーデイルは、ディープ・パープル解散後、一度も共演しておらず、インタビューでは、お互いに非難しあっているので、メンバー間のトラブルが多かったディープ・パープルのメンバーの中でも、特に仲が悪いのかもしれません。