絶望のプログレッシブ
1969年に『クリムゾン・キングの宮殿』でデビュー。バンドのメンバーは、リーダーのロバート・フリップ(G)、グレッグ・レイク(B・Vo)、イアン・マクドナルド(Key.etc)、マイケル・ジャイルズ(Ds)の4人に作詞担当のピート・シンフィールドが参加していました。デビューアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、プログレファンを中心に伝説的な名盤として知られ、プログレの名盤の中でも絶対的な地位を保っています。衝撃的なデビューアルバムの成功で一気に成功を手に入れたキング・クリムゾンですが、セカンドアルバムを発表する前に、ロバート・フリップ以外のメンバーが全員脱退、グレッグ・レイクは、キース・エマーソンらとELPを結成。イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズの二人は、名盤『マクドナルド・アンド・ジャイルズ』を発表します。
キング・クリムゾンの唯一のオリジナルメンバーとなったロバート・フリップは、次々にメンバーを入れ替えてキング・クリムゾンとしてアルバムを発表しますが、この頃には、キング・クリムゾン=ロバート・フリップという認識でファンも納得し、メンバーが変わってもロバート・フリップの感性で作られた楽曲を楽しめるのがキング・クリムゾンというバンド!というイメージが定着していきました。キング・クリムゾンに参加したメンバーとしては、後にバッド・カンパニーに参加するボズ・バレル、エイジアのヴォーカルとして活躍するジョン・ウェットン、イエスのドラマーだったビル・ブラッフォードなど、プログレッシブロック界の代表的なアーティストが多く、それだけでもキング・クリムゾンというバンドの偉大さが分るような気がします。近年になってもロバート・フリップのイマジネーションは、全く衰えを見せず、キース・レヴィン、エイドリアン・ブリューなど得意な才能を持つアーティストを起用してバンド活動を続けています。
80年代に入って、プログレッシブロックの人気が衰退すると、プログレ系のバンドも、ポップな音楽性を取り入れて生き残りを計りましたが、ロバート・フリップ率いるキング・クリムゾンだけは、コマーシャルな要素を一切排除した独自の音楽性を追及し、プログレファンの期待を唯一裏切らないアーティストとして、カリスマ性が高くなり、大ヒットアルバムこそ無いものの、プログレファンの根強い人気に支えられて、他のプログレ系アーティストとは別格の人気が続いています。デビューアルバムでは、イアン・マクドナルドのアレンジのセンスやマルチプレイヤーとしての才能に助けられていたロバート・フリップですが、年を重ねるごとに才能に磨きがかかり、独自の音楽性だけでファンの心を掴んで進化し続けているという意味では、プログレ界でも特異な才能の持ち主として認められるのも当然だと思います。変拍子を多用した曲が多く、ドライブ感のある爽快な曲を楽しむというタイプのバンドではありませんが、音楽を芸術として考えられる人にとっては絶対に無視できないバンドでしょう。
私が辞めるから・・・
イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズが、キング・クリムゾンの脱退を宣言したときに、ロバート・フリップは、こう言って二人を慰留したそうです。ロバート・フリップは、デビューアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』で重要な役割を果たしていた二人の脱退は、キング・クリムゾンの終焉と考えたようですが、皮肉な事に、脱退した二人の製作した名盤『マクドナルド・アンド・ジャイルズ』は、商業的な成功を収められず、孤高の存在となったロバート・フリップは神格化されて、絶対的な地位を手に入れました。後に、イアン・マクドナルドはフォリナーに参加しますが、クビになってしまい、いまだに商業的な成功から見放され、キング・クリムゾンを脱退しなければ良かった、という発言も出ていますし、マイケル・ジャイルズも、叩くサイコ野郎とでも呼べるような、あまりにも個性的なドラミングの為、バンドのオーディションでも不合格が続き、メジャーな活動が出来なくなってしまいました。しかし、イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズがキング・クリムゾンを脱退しなければ、後の『レッド』などの名盤は生まれなかったわけですから、これも運命なのかもしれません。