ジェフ・ベックを評するときによく使われるのは「世の中には2種類のギタリストしかいない、ジェフ・ベックと、それ以外のギタリストだ」という有名なセリフですが、このセリフは、ジェフ・ベックの部分にジミ・ヘンドリックスの名前を入れてもいいんじゃないかと、個人的には感じています。いまだに多くのギタリストに敬愛され、その奏法や音楽的なアイディアが参考にされています。しかし、奏法やアレンジなどをマネする事はできても、ジミ・ヘンドリクスの音楽的なイマジネーションをマネることは不可能で、結局ジミ・ヘンドリクス以外のギタリストというカテゴリに入ってしまいます。
ノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルと共にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスで本格的な活動をはじまめます。ブルースをベースにしながら、斬新なギターサウンド、テクニックに加え、過激なライヴパフォーマンスが評判になり、音楽ファンのみならず、プロのミュージシャン達にショックを与えます。、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ピート・タウンジェントをはじめ、ローリング・ストーンズのメンバー、ビートルズのメンバーなども観客としてジミ・ヘンドリックスを観る為に会場に足を運び、ショックを受けたジェフ・ベックやピート・タウンジェントがギタリスト廃業をを真剣に考えたそうです。
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの活動は3枚目のアルバム「エレクトリック・レディ・ランド」を最後に、ノエル・レディングの脱退により終止符を打ちます。その後、ヘンドリックスはミッチ・ミッチェルに、軍隊時代からの友人ビリー・コックスをベーシストとして加えジプシー・サンズ&レインボウズとして活動を開始。パーカションやサイドギターも加え、ビッグバンドスタイルになり、ウッドストック・フェスティバルに、このバンドで出演します。しかし、このバンドは短命に終わり、1969年10月、ビリー・コックスがベース、バディ・マイルスがドラムスというメンバーでバンド・オブ・ジプシーズを結成しますが、爆発的な人気でカリスマ性のあるジミ・ヘンドリックスを政治的に利用する為に、黒人だけのバンドを結成させられたという噂もあり、すっかりモチベーションの下がった演奏が目立つようになります。ジミのご機嫌を伺うように無難なフレーズを弾くビリー・コックスや、意外性や攻撃的なプレイに欠けるバディ・マイルスのプレイに不満を持っていたのは確かなようです。
ジミに最も音楽的な影響を与えたのは、ボブ・ディランだったようです。ジミの歌い方に、その影響が強く見られますし、「ライク・ア・ローリング・ストーン」「オール・アロング・ザ・ウォッチ・タワー」などもコピーしています。また、スティーブ・ウィンウッドとバンドを組む事を夢見ていたという証言もあり、スティーブ・ウィンウッドへの憧れは相当強かったようです。皮肉な事に、友人であり、ライバルであったエリック・クラプトンが後にスティーブ・ウィンウッドとブラインド・フェイスを結成する事になります。
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス解散後、ジミは何度もノエル・レディングへ、バンドへの復帰を要請していたそうです。ノエル・レディングの復帰どころか、ミッチ・ミッチェルもバンドを去ってしまった状況で、ジミのストレスは極限に達していたのかもしれません。もし、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが再結成されても、デビュー当時のようなマジックは起きなかったかもしれませんが、やはり、ジミは、自由奔放で野蛮とも言えるミッチ・ミッチェルのドラミング、ギタリスト的なセンスでベースラインを弾くノエル・レディングのベースにインスパイアされながらインプロヴィゼーションをしたかったのではないでしょうか?
DVDでも発売されているジミ・ヘンドリックスの伝記映画のインタビューを観ると、彼がいかに孤独だったかを痛感します。ジミの身近な友人、恋人が、彼のことを全く理解できていなかったことに愕然としました。当然のことなのかもしれませんが、誰も彼のイマジネーションについていけなかったようです。こんな悲劇的な孤独感が「リトル・ウィング」のような名曲を生む原動力になったのかもしれませんが・・・。
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