最も成功したNWOBHMのバンド
1980年にレコードデビュー。当時のメンバーは、ジョー・エリオット (Vo)、
リック・サヴェージ (B)、 リック・アレン (Dr)、 スティーヴ・クラーク (G) ピート・ウィリス(G)の5人。ガール、アイアン・メイデンなどとともにNWOBHM
(ニューウェーブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル) の中心的なバンドとして登場しました。実力派ながら短命に終わったガール、商業的な成功を無視して、ひたすらわが道を行くアイアン・メイデンと違って、アメリカでも爆発的なセールスを記録し、世界的にメジャーなハードロックバンドとして成功します。
3枚目のアルバム『炎のターゲット』から、元ガールのギタリスト、フィル・コリンが参加、オリジナルメンバーのスティーヴ・クラークと息のあったプレイで、バンドに活力を与え、このアルバムが大ヒット、アメリカでの人気が決定的になります。1984年、ドラマーのリック・アレンが交通事故により左腕を切断する大怪我によりバンド活動が休止しますが、片腕でもプレイできるオリジナルの電子ドラムが開発され、バンドのメンバーとして活動を続けますが、1991年にギタリストのスティーヴ・クラークが、アルコールとドラッグの過剰摂取によって他界してしまいます。後任のギタリストとして、ヴィヴィアン・キャンベルをむかえ、バンド活動を再開、数々の試練を乗り越え、バンド活動を続けています。
全然個性が無いね、辞めちまえよ
デフ・レパードに対して、こう発言したのは元ガールのフィリップ・ルイスですが、デフ・レパード以上に評価が高く、期待されていたガールはアルバム2枚のみで解散。一方、デフ・レパードは世界的なバンドとして成功したのは、皮肉な話です。しかし、デフ・レパードの大ヒット曲『フォトグラフ』はボストンの『宇宙の彼方に』にソックリですし、『シュガー・オン・ミー』は、クイーンの『ウィ・ウィル・ロック・ユー』のメロディに酷似していたりと、バンド独自の個性が無いという意味では、フィリップ・ルイスの発言にも同意できる部分もあります。しかし、逆にイギリス的な、繊細で個性的な音楽性が無かったのがプラスとなり、シンプルなハードロックがアメリカでの大ヒットにつながったとも考えられます。スティーヴ・クラークの作曲能力、フィル・コリンのギターテクニックを柱にサウンドメイキングするというパターンで作曲活動をしていたようですが、レコーディングに関しては、プロデューサーに依存する部分が多く、多忙なマット・ラングが、他のミュージシャンのプロデュースの仕事をしている間は、レコーディングが進まず、電話でマット・ラングの指示を仰いでいたようです。デフ・レパードが、他のヘヴィメタル系のバンドのサウンドと決定的に違う部分は、アルバムの音質の良さですが、これに関してもマット・ラングの手腕によるところが大きく、ヘヴィメタル・バンドが嫌うような実験的なアレンジも多く、アレンジも、ほとんどマット・ラングにまかせていたようです。
ドラマーのリック・アレンが路上レースの末、大事故を起こして片腕を切断した時、他のドラマーを入れずに、リック・アレンの回復を待ってバンドに復帰させた事には、バンド内の結束の強さ、人間的な心の広さに感動しましたが、成功してしまうと、人間が堕落するのでしょうか、アルコールと、ドラッグでボロボロだったスティーヴ・クラークを心配して、『彼を監視して、ドラッグも酒も与えないでくれ』と頼んでいたスティーブ・クラークの恋人の頼みを無視し続けて、結局、スティーヴ・クラークは他界してしまいました。スティーヴの死後、スティーブの恋人にジョー・エリオットは謝罪したそうですが、悲劇の後では、どうしようもありません。