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受楽寺 離惱山悉除院受楽寺という浄土宗のお寺。 至徳元年(1384)に安蓮社任意上人が母衣輪というところに開創。 その後、天正元年、太田に移転移転、何度かの焼失や再建を繰り返し現在に至る。 上州太田七福神の大黒天が祀られている。 |
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新田寺1 義重山大光院新田寺という浄土宗のお寺。 慶長18年(1613)、徳川家康が始祖・新田義貞の菩提寺として建立。 幕府から寺領300石を拝領、浄土宗の学問所、関東十八壇林の一つ。 上州太田七福神の弁財天を祀る。 |
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新田寺2 初代住職には増上寺の観智国師四哲の一人、呑龍上人が迎えられる。 呑龍上人は庶民教育に心を砕き、その高徳により、「子育て呑龍さま」として親しまれている。 山門は元和元年(1615)に中門として建立され、 その時、大阪城が落城し、徳川方にはめでたく、吉祥門と名付けられた。 |
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金龍寺1 大田山義貞院金龍寺という曹洞宗のお寺。 寺名は新田義貞の「法名金龍寺殿眞山良悟大禅定門」による。 創建は応永24年(1417)横瀬貞氏がその祖とした新田義貞の 追善供養をするために開基した。 |
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金龍寺2 金山城主横瀬氏の菩提寺で、 歴代金山城主の五輪塔や新田義貞の供養塔などがある。 本尊は釈迦如来で、 太田七福神の毘沙門天を祀る。 |
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玉厳寺1 宗光山玉厳寺という曹洞宗のお寺。 嘉元年中(1303)、世良田長楽寺開山の名僧・栄朝の法弟が 仏寺を建立、その後、新田義貞のもと寺運が栄えた。 後、金山城主・横瀬貞国のお助力で再建した。 |
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玉厳寺2 この辺りが鎌倉建長寺の玉厳窟に似ていることからこの名がついた。 太田七福神の福禄寿を祀る。 福禄寿は寿老人の原型とも言われ、 長寿や延命などにご利益がある・・・ |
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曹源寺2 江戸時代に本堂が火災に会い、その後、 観音堂を本堂として栄螺堂と呼ばれている。 江戸中期に普及発展した三十三観音、百観音信仰を背景に、 関東や東北地方に限って建造された三匝堂のひとつ。 |
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曹源寺3 寛政10年(1798)に創建され、間口。奥行共に9間(約16.3m)、 高さ55.5尺(約16.8m)で、正面は東向きに建つ。 外観は重層の二階建てに見えるが、内部は三層になっている。 堂内には百観音が安置してあり、右回りに堂内を一方通行で巡拝できる。 また、太田七福神の布袋尊を祀る。 |
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群馬県古墳巡り | |||||||||||||||||
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