世界最高の無名なギタリスト
1940年、アメリカ・アーカンソー州生まれのギタリスト。牧師の息子としてアメリカ南部に生まれ、9歳でギターをはじめて、10代の後半にはギタリストとしてツアーミュージシャン、レコーディングミュージシャンとして実績を積み始めます。レコードデビューする前に田舎のクラブで演奏しているロイのプレイが評判になり、エリック・クラプトンなどのプロミュージシャンに注目されるようになり、死亡したブライアン・ジョーンズの後任ギタリストとして、ローリング・ストーンズに加入するように依頼されますが、そのオファーを断ってしまいます。1971年に放送された『世界最高の無名ギタリスト』というドキュメンタリー番組でロイ・ブキャナンを特集した事から有名になり、翌年の1972年にポリドールレコードからソロ・デビューアルバムを発表します。エリック・クラプトンが、彼の大ファンだと公言し、ジェフ・ベックがアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』に収録されている『悲しみの恋人たち』に『ロイ・ブキャナンに捧ぐ』というクレジットを記載したこともあって日本でも評価が高まり、1977年には来日公演も行われました。その後もコンスタントにアルバムを発表しましたが、ロイ自身が設立したレコード会社の倒産などもあり、人気が低迷してきます。1986年には、2度目の来日公演が実現し、日本のブルースファンを喜ばせましたが、泥酔して収容されていたヴァージニア州フェアファックスの留置所で発作的に首吊り自殺をはかり死亡してしまいました。
エリック・クラプトンが、ロイのプレイしたテープやレコードを全てコレクションしているというのは有名な話で、世界中のロックファンから愛されるエリック・クラプトンが敬愛してやまないギタリストとしてもダントツの存在感がありました。エリック・クラプトンの他にもジェフ・ベック、ザ・バンドのロビー・ロバートソン、イエスのスティーブ・ハウなど一流ギタリストに愛されるロイのプレイは、あまりにも玄人受けするサウンドなので、ポピュラーミュージックとして商業的な成功は得られませんでした。もっともロイ自身が、ロックスターとしての成功を望んでいなかったようで、大手レコード会社ポリドールからアルバムを発表していましたが、後に、レコード会社からの圧力を嫌ってレーベルと立ち上げます。結局、善人に商売はムリ!というパターンで倒産させてしまいますが、商業的な成功には感心が無かったようです。また、長期のツアーを嫌い、マイペースでライブ活動を行うのが性に合っていたようです。私も高校生の頃に彼の曲を何曲もレパートリーにしていましたが、日本でもブルースファンを中心に根強い人気があり、往年のロックファンにとっては忘れられないギタリストだと思います。
ロイ・ブキャナンのギタープレイと言えば、テレキャスターの音質を最大限に生かした鋭いサウンド、喜怒哀楽を極限まで表現する感性豊かなフレーズが印象的ですが、10代の頃からプロとしてプレイした実力は、ブルースだけでなくカントリー系のピッキングにも抜群安定感があり、ギタリストにとっては、無視できない存在だと思います。今となっては、埋もれてしまった感があり、若い世代の方にはロイのプレイに出会うキッカケも少ないと思いますが、ロック通の映画監督として有名なマーティン・スコセッシ監督が、『ディパーテッド』のエンディングで、ロイの名曲『スウィート・ドリーム』を使用したのは記憶に新しいところです。娯楽性重視のダンサブルな曲が多くなった現代のロックシーンの現状で、退屈している方も多いと思いますが、感情が爆発するようなソウルフルな音楽を楽しみたいという若いロックファンの方には、絶対にオススメできるギタリストです。