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| 諏訪神社1 創建は平安時代直前の延暦3年(784)。 祭神は建御名方伸、八坂刀売姫、諏訪前命を祀る。 大伴狭手彦が新羅征伐の際に戦勝祈願のため勧請したとも言われている。 応仁の乱の戦火で焼失、その後規模を縮小して再建。 文禄・慶長の役のため、豊臣秀吉が戦勝を祈願したといわれている。 |
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| 諏訪神社2 諏訪前命については伝承が残る。 百済から来たという鷹使いと大矢田連の娘(諏訪姫)が恋仲になり、 鷹狩で使われる鷹が、蝮に絞殺された。 これを嘆き諏訪姫が自害したため、当社に祀られることとなった。 このほか、境内には道祖神社ほか多く境内社が並ぶ。 |
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| 唐津城1 唐津城は豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高が慶長7年(1602)から 7か年の歳月を費やして完成した。 築城には名護屋城の遺材を活用して造られたと伝えられている。 |
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| 唐津城2 城を中心に砂浜と松原が翼を広げた鶴のように見えることから 別名、「舞鶴城」と呼ばれている。 その城主には、寺沢、大久保、松平、土井、水野、小笠原の 各大名が任じられた。 |
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| 唐津城3 唐津城築城当時は、天守閣がありませんでした。 昭和41年に文化観光施設(郷土博物館)として天守閣が造られた。 麓からエレベーターもあり快適に登ることが出来る。 天守閣からは玄海灘や虹ノ松原など勇壮な景観が楽しめる。 |
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| 唐津神社1 創建は伝天平勝宝7年(755)。 社伝では神功皇后が三韓征伐から帰還の折、 松浦の浜辺で鏡をささげお祈りされたのが起源と伝えられている。 その後、時の領主神田宗次が浜辺で宝鏡を見つけ、 これを「唐津大明神」として祀った。 |
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| 唐津神社2 文治2年(1186)、子孫の神田広が社殿を再建し、 祖先宗次港を合祀して、「二ノ宮」とした。 慶長7年(1602)、寺沢志摩守が唐津城築城に際して 領内の守護神として崇敬した。 |
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| 1.唐津市1 2. | ||||||||||||||||||
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