ロックギターの革命児!
1974年にアメリカ、ロサンゼルスでデヴィッド・リー・ロス(vo)、エディ・ヴァン・ヘイレン(g)、マイケル・アンソニー(b)、アレックス・ヴァン・ヘイレン(ds)のメンバーで結成。1978年に発表されたデビューアルバム『炎の導火線』は、エディ・ヴァン・ヘイレンの革新的なギターテクニックで、世界中のギタリストに衝撃を与え、エディの得意とするライトハンド奏法は、後々までハードロック、ヘヴィメタル系のギタリストの定番的な奏法として定着しました。派手なライトハンド奏法だけではなく、多彩なフレーズ、安定したスピーディーなピッキングは、ハードロック系のギタリストのお手本となり、その影響力は計り知れません。エクストリームのギタリスト、ヌーノ・ベッテンコートも、エディからの影響が最も大きいとインタビューで語っています。
天才ギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンを中心に、派手な衣装、パフォーマンスで人気の高いデイヴ・リー・ロス、実はバカテクのドラマー、アレックス、地味ながらも安定感のあるベースでサウンドを支えるアンソニー、4人の個性が絶妙に絡み合い、明るく、極めてアメリカ的なポップセンスのあるハードロックバンドとして、デビュー直後からアメリカを代表するハードロックバンドになりました。良くも悪くも明るくストレートなバンドなので、ステージ衣装も統一性が全く無く、お世辞にもファッショナブルとは言えませんが、アメリカ西海岸出身のバンドらしい開放的で奔放なサウンドは、重く暗いイギリスのハードロックとは対照的で、ハードロックの新しい局面を切り開いたと言えるかもしれません。
1983年に発表されたアルバム『1984』からシングル『ジャンプ』は世界的な大ヒットを記録し、この曲のキーボードサウンドは、世界中のミュージシャンに模倣され、ヴァン・ヘイレンの人気はハードロックファンに限られたものではなくなりました。1986年にヴォーカリストのデイヴが脱退、スティーブ・ヴァイ(G)、ビリー・シーン(B)ジャック・ビソネット(ds)らとソロ活動を始めた為に、元モントローズのサミー・ヘイガーがヴォーカリスト兼、ギタリストとして加入、サミーがギタリストとしても優秀だった為、曲によってエディがキーボードを弾いたり、サミーとエディがツインギターをプレイしたりとライブでのバリエーションが豊かになり、バンドとしての音楽性も多彩になり、アルバム『5150』も大ヒットを記録します。その後、サミーは脱退。元エクストリームのヴォーカリスト、ゲイリー・シェローンをヴォーカリストに迎え活動を続けますが、結局、ゲイリー・シェローンも短期間で脱退してしまいます。2004年に再びサミー・ヘイガーがヴォーカリストとして復帰しますが、またまた短期間で脱退してしまいます。
ヴォーカリストの交代の多いヴァン・ヘイレンですが、2007年に正式にオリジナル・メンバーのデイヴ・リー・ロスが復帰し、ベーシストにエディの息子、ウォルフガングを加えてコンサートツアーを開始しました。マイケル・アンソニーの代わりに息子をベーシストとして起用するあたりは、エディも、やはり親バカなんでしょうか?オリジナルメンバーでの再結成を期待していたファンは、ちょっとガッカリしたかもしれません。
2007年には、ついにロックの殿堂入りを果たしました。エディは、健康面で不安があるようですが、ファンの為にも、まだまだ現役で活躍して欲しいですね。
ヴァン・ヘイレンはエディだけじゃない!
ちょっと不思議なのは、エディばかりが評価されて、兄のアレックスの評価が低い事です。私は昔ドラムをやっていたので、ドラマーに対する見方がシビアなのですが、アレックスのライブでのドラムソロには、かなりショックを受けました。ゴリラ顔はともかく、あのプロレスラーのような体格で正確無比でパワフルなビート、しかも手足のコンビネーションのスピードたるや、ちょっとやそっとではマネできません。ラディックのドラムを愛用しているので、粗野なドラムサウンドになっていることと、ヴァン・ヘイレンのアルバムはプロデューサーに恵まれていないので、ドラムサウンドもお粗末なものが多く、そういう実力と関係の無い部分で評価が下がっているなら、ちょっと気の毒な気がします。