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| 阿佐美縄文式文化住居跡 阿佐美遺跡は約3,800〜3,200年前の縄文式中期後半〜 後期前半の集落跡で、昭和29年(1954)の東武線阿左美駅構内の拡張工事の際、 沢山の土器や石器が出土した。 翌年、群馬大学の発掘調査で2棟の住居跡が発見された。 2号住居跡は敷石住居と呼ばれるもので、中央には囲炉裏が作られていた。 |
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| 南光寺1 日輪山観音院南光寺という高野山真言宗のお寺。 鎌倉時代に弘法大師がこの地を巡錫し、 行基菩薩の白衣観音を本尊として開創したという。 |
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| 南光寺2 新田氏が当地を支配していた建武2年(1335)、 大塔宮護良親王に仕えた南の御坊が入山し、 非業の死を遂げた護良親王の菩提を弔ったといわれている。 |
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| 南光寺3 境内には石造物が多く、弁財天をはじめ七福神が揃う。 石宝塔や六地蔵幢が並ぶ。 新しく大師堂も建立され、弘法大師像が安置されている。 本堂前には仁王像が立つ。 |
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| 南光寺4 南光寺は関東八十八ヶ所霊場第八番で、 北関東三十六不動尊霊場の第八番。 境内のお不動さんは笠懸不動尊と呼ばれ、 あらゆる障難を避けるとされ、信仰されている。 |
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| 生品神社(阿佐美) 御祭神は大穴牟遅命で、創建年代などは不詳という。 本殿は元禄7年(1694)に建造され、市の文化財になっている。 境内社として子育杓子稲荷がある。 マスコット(?)のいくどんがある。 |
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| 西鹿田中島遺跡 平成10年(1998)から発掘調査が始まり、 縄文時代草創期、約13,000年前の貯蔵穴群と約11,000年前の 2棟分の住居跡がそれぞれ重なり合って見つかった。 岩宿時代から縄文時代への移行期の草創期の様子がよくわかる。 |
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![]() 鳥居 |
![]() 全景 |
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![]() 狛犬(吽形) |
![]() 狛犬(阿形) |
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![]() 拝殿 |
![]() 拝殿正面 |
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![]() 本殿 |
境内社群 |
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![]() 蚕景神社 |
![]() 社殿 |
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| 金山神社 祭神は金山比古神と金山比売神。 創建年代などは不詳とのこと。 近郷の神明宮(向山)と菅原神社(天神)、 赤城神社(中島)を合祀して祀っている。 そのほか、境内社として蚕影神社などがある。 |
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| 長昌寺 久永山長昌寺という天台宗の寺。 天元元年(978)に慶範和尚によって開山された。 本堂は天保11年(1841)に焼失したが、天保15年(1845)に再建、 昭和62年に改修工事を行った。 境内には2基の円墳が残る。 |
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| 鹿田赤城神社 起源は遠く神代に大穴牟遅神を奉斎し、豊城入彦命も参拝した。 かつては「大穴伏明神」とも呼ばれ、上野国神名帳にも記載されている。 又、岩松八幡宮、市野井の生品神社ともども新田の三社と呼ばれていた。 新田義貞の義挙の際には自ら戦勝を祈願したという。 |
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| 清泉寺 青龍山清泉寺という天台宗のお寺。 鹿田山南西麓にあり、眼下に村が見渡せる。 新旧の石造物が多く、 境内には献灯籠も建つ。 清泉寺裏には縄文中期の遺跡が残る。 |
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| 群馬県古墳巡り | |||||||||||||||||||||
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