栃木県歴史散歩
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八坂神社(今泉)

鳥居

手洗舎

舞楽殿

本殿

狛犬(吽形)

狛犬(阿形)

拝殿

拝殿正面

境内社 
 
八坂神社(今泉)

康平6年(1063)、当時の宇都宮城主・藤原宗円(宇都宮氏始祖)が
本丸築城の際、城の丑寅の方、鬼門除けの鎮護として
奥州街道の出入口にあたる今泉に神明宮を創始した。
明治43年、博労町の八坂神社を合祀、八坂神社と改称した。
主祭神須佐之男尊ほか国常立尊、天照皇大神、菅原道真を祀る。

興禅寺

宇都宮貞綱像


山門

中門

薬師堂

薬師如来

仏像群像1

仏像群像2
興禅寺1

河北禅林神護寺興禅寺という臨済宗妙心寺派のお寺。
正和3年(1314)開山は真空妙応禅師で、
開基は宇都宮氏8代・宇都宮貞綱公。
本尊は釈迦如来。
興禅寺

観音堂

千手観音像

鍾堂

地蔵尊

中門

地蔵さん1

地蔵さん2

仁王2

仁王1

小坊主像

撫牛
興禅寺2

室町時代は宇都宮氏の興隆に伴い隆盛を誇った。
天文18年(1549)戦火により焼失、復興するも、
第22代宇都宮国綱が豊臣秀吉によって領地をはく奪されて、一時衰退。
興禅寺

地蔵さん3

甘酒地蔵尊

六地蔵?


九重石塔

宇都宮貞綱・公綱墓碑

興禅寺3

江戸時代に入り、伊達政宗、徳川秀忠公などに帰依を受ける。
奥平家昌が宇都宮城主となり、奥平家の菩提寺となった。
境内には宇都宮貞綱・公綱公の墓碑や奥平家の墓が残る。
興禅寺

石像1

石像2


本堂


本堂正面

内陣

本尊・釈迦如来

内陣仏画1

内陣仏画2
興禅寺4

山門をくぐると中門が見える。中門をくぐると庭園が広がる。
薬師堂には薬師菩薩が、観音堂には千手観音がある。
甘酒地蔵尊をはじめ多くの地蔵さんが残る。
宝蔵寺


鐘楼門

観音像


境内社

六地蔵

お不動さん

不動堂

本堂

不動像
宝蔵寺

光明山摂取院宝蔵寺という天台宗のお寺。
創建は天安元年(857)、慈覚大師という。
本尊は阿弥陀如来と普賢菩薩。
本堂右手に不動堂があり、北関東三十六不動の一つで、
通称成田不動尊と呼ばれている。
宮の橋界隈

宮の橋

田川

枝垂桜

三峰神社入口
宮の橋界隈

宮の橋は宇都宮駅西口の田川に架かる橋で、宇都宮のシンボルとして親しまれている。
田川に架かる橋で幸橋の近くに浅間神社がある。
浅間神社には橋爪父子の墓が残る。橋爪父子は
1189年、奥州征伐の成就祈願のため二荒山神社に生贄に差し出したといわれている。
清厳寺 

山門

石塔

青銅地蔵尊

中門

石塔2

無縁仏塔

本堂

扁額
 
本尊・阿弥陀如来
 
 清厳寺1

芳宮山清厳寺という浄土宗のお寺。本尊は阿弥陀如来。
建保3年(1215)、宇都宮頼綱が宿郷町に建立した念仏堂が起源。
戦国時代に宇都宮氏の重臣・芳賀高継が現在地に移築して清厳寺と称した。
開山は旭蓮社儀翁という。
 
 清厳寺

呑龍さん

内部

客殿

石塔

鍾堂

銅鍾
清厳寺2

境内には清厳寺9世・教円が正徳4年(1714)に
衆生救済のため青銅製の地蔵尊が残る。
このほか宇都宮頼綱、芳賀高照・高継の墓が残る。
また、銅鍾は寛延4年(1751)の鋳造で文化財になっている。
 
 
生福寺 





境内

本堂

地蔵尊

仏足石
 生福寺1

宮應山遍照光院生福寺という真言宗智山派のお寺。
永享10年(1438)に創建、宇都宮等綱の開基。
清原高盛の祈願所として、
以来醍醐光台院末の中本寺として末寺十七ヶ寺を有していた。
 
生福寺  
 
興教大師像
 
石仏群

地蔵尊


宝篋印塔

本堂扁額1

本堂扁額2
生福寺2

関東88ケ所霊場第24番札所。
境内には宇都宮の鋳物師・戸室元蕃の宝篋印塔が残る。
このほか、参道には蕪村の句碑が残る。
 
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