1971年アメリカ作品。監督は『サンバーン』のリチャード・C・サラフィアン
、主演は、『イギリスからきた男』のバリー・ニューマン。警察の追跡を振り切り、約束の時間に車を届けようとする元プロレーサーの姿を描いたアメリカン・ニューシネマの名作。
ほとんどが砂漠でのロケ、出演者も有名俳優を起用せずにBGMもマイナーな曲でまとめられていますが、低予算でもいい作品が作れるというお手本のような作品です。主人公のコワルスキーが元レーサーで、自分の限界に挑戦するために爆走するロードムービーなので、アメリカの大陸的な自然の美しさを楽しめるロードムービーとして、また、迫力あるカーチェイスを楽しめるアクション映画として楽しめる作品ですが、庶民の無気力、自分の理解できない事に対して暴力的な解決方法を選ぶ保守的な人間の姿は、他のアメリカン・ニューシネマの作品と比べても絶望的な現実味があり、唖然とさせられてしまいます。体制に立ち向かう若者を描いた『いちご白書』のような政治色は無く、『ファイブ・イージー・ピーセズ』などの作品に近い、個人の生き方を描いた作品で、右とか左とか政治思想などは一切語られず、ひたすら自分の生き方を貫く主人公を通して保守的な人間の悪意を浮かび上がらせています。主人公の敵が、政府機関や企業、犯罪組織など世の中を支配している組織ならハッキリとした対象として戦えますが、この作品では、主人公コワルスキーに振り切られてムキになっている警察が敵というよりは、保守的で野次馬根性丸出しの無知な一般市民の悪意が敵として描かれているのが怖いです。考える事さえしない庶民の無気力が、利益や権力の維持の為に悪事を働く人間を影で支えているとしたら、これほど恐ろしい事はありません。主人公のコワルスキーが、逃亡中に出会う人々とのふれあいには心温まるエピソードも多く、回想シーンによるコワルスキーの生き様も感動的です。そして何と言っても、エンディングでのコワルスキーの決断には、捕まるよりも自由を選ぼうとする魂の高潔さがあり、絶対に忘れられない衝撃のエンディングとして心に焼きつきます。アメリカン・ニューシネマの隠れた名作として、いまでもカルト的な人気のある名作なので、是非観ていただきたい作品ですが、エンディングには賛否両論があり、主人公の生き方に共感できない人にとっては、ただただ暗い作品と感じてしまうかもしれません。
権力者の不正を暴き、世の中を良くしようとする『いちご白書』『セルピコ』の主人公や、仲間の為に生きようとする『真夜中のカウボーイ』『スケアクロウ』の主人公に比べると、エゴが強いとも考えられますが、一匹狼として生きるタイプの人間には、かなり共感できる作品だと思います。個人的には、コワルスキーのキャラクターが大好きで、アメリカン・ニューシネマのトップ5に入れたい作品です。元レーサーで抜群のドライビングテクニックを持つコワルスキーですが、テクニックを自慢する傲慢な人間ではなく、カーチェイスでも相手の安否を気にしていますし、無口で物静かな好青年です。そして、快楽の為にドラッグを使用するのではなく、眠気覚ましの為に使うだけで、ドラッグに溺れているわけでもありません。純真で正義感が強く、他人にも優しいコワルスキーのキャラクターは、私にとっては理想の人間像です。
なぜ急ぐ?
制限時間内で車を届けられるかどうか賭けをしたコワルスキーですが、賭けの勝ち負けよりも自分の限界に挑戦したいという気持ちの方が強かったのかもしれません。『生き急ぐ』『死に急ぐ』という言葉がありますが、人生をゆっくりと長く生きる人、急いで一生を終えてしまう人、それぞれの生き方、運命のようなものなので、どうしようもありません。『なぜ急ぐ?』と聞かれても、答えようが無いでしょうね。
あんたは変わってないわ
ベトナム戦争での兵士としての過去を憎み、職権を濫用する警官を憎むコワルスキー、人間として当たり前な正義感を貫こうとすると、この世の中では不利な事が多すぎます。いつまでも信念を貫き、人間性を失わずに生きて行くのは簡単な事ではなく、善意を失い、いつの間にか変わってしまう人間も多いような気がします。コワルスキーに対しての『変わっていない』という言葉は、最高の賛辞だと思います。