1988年アメリカ作品。監督は『ディパーテッド』『グッド・フェローズ』などのマーティン・スコセッシ、出演は『プラトーン』『ストリート・オブ・ファイアー』などのウィレム・デフォーと、『ナショナル・トレジャー』のハーヴェイ・カイテル、有名ロックミュージシャンのデヴィッド・ボウイなど。もしキリストが十字架に磔にされず、人間としての人生を送っていたら?という仮定を元にストーリーを展開する異色のキリスト伝。
もしイエス・キリストが十字架で絶命していなかったら?という衝撃的なテーマの作品なので、アメリカでは、上映反対運動が起こり大騒ぎになってしまい、いまだにキリスト教徒からは評判の悪い作品です。しかし、この作品は、『ダ・ヴィンチ・コード』などの作品のようにキリストが生き延びたという説を強調する作品ではなく、あくまで仮定の物語であり、キリスト教を否定するような内容ではありません。もしキリストが生き延びていたら?という仮定のストーリーの中で、キリストのベッドシーンがあったりして、冒涜的と批判されてしまいましたが、キリスト教批判ではなく、イエス・キリストの存在の偉大さを、仮定の物語を通して強調した作品と考えれば、キリスト教徒の方にも受け入れられる作品だと思います。この作品の為に、聖書やイエス・キリストに関する文献を研究し、リアリティにこだわったマーティン・スコセッシ監督の手腕と、ウィレム・デフォー、ハーヴェイ・カイテルなど名優の迫真の演技によって、聖書に関心の無い方でも楽しめる迫力ある作品になっています。また、マーティン・スコセッシ監督の視点から見たキリスト教の問題点や疑問点なども暗示的にストーリーに組み込まれているので、キリスト教徒の方にとっても新しい発見のある作品だと思います。ストーリー性も俳優の演技も申し分の無い作品ですが、誤解を受け易い作品であり、やはり、キリスト教に全く関心の無い方にとっては、楽しめないジャンルの作品かもしれません。
この作品をはじめた観た時、レンタルビデオで映画を観ている最中に突然激しい雷雨になり、神の逆鱗に触れたか?と、ちょっと怖くなりました。しかし、その当時、私は、日本一雷の多い地域に住んでいたので、突然の雷雨はしょっちゅうで、珍しい事でもなく、今考えてみれば特別な意味は無いかもしれませんが、今50歳近くなってキリスト教徒となった私が、今観なおしてみると、なるほどキリスト教徒にとっては、冒涜的な映画だなと納得してしまいます。映画としての完成度は高いと思いますが、神様の子であるイエス・キリストが、まるで神様のあやつり人形のように描かれている点や、洗礼者ヨハネとイエス・キリストが出会うシーンでカルト教団のように踊り狂う信者の姿は、気分が悪くなります。そして、キリスト教圏の人々にとって違和感があるだけでなく、キリスト教を知らない人に、イエス・キリストについて大きな誤解を与えてしまう可能性が高いのは問題でしょう。
神の声?悪魔の声ではないの?
神の声に聞き従って行動していたイエス・キリストが、最後の最後で悪魔の誘惑に惑わされるという物語になっていますが、神の子であるイエス・キリストだからこそ、神の声を聞くことができたんだと思います。もし、私たちの誰かに、神を装って悪魔が語りかけても簡単には見抜けないでしょう。311の大地震の後、不思議な世界の人から声が聞こえると言って有料ブログを運営している人がいるようですが、この人は低級霊か悪魔の声を聞いて世を惑わしているような気がします。大体、預言者や真理を伝える人が、お金を要求するでしょうか?神様や天使が、お金を払わない人には情報を与えない、助けないという態度を取るでしょうか?本人に悪意がなくても、お金を取って人々を惑わす罪は小さくはないでしょう。
多くの過ちを犯した
本作でのイエス・キリストは、私たちと同じように人間として多くの罪を犯しますが、罪を自覚して後悔しています。キリスト教徒でなくても、自分の罪を自覚する事はとても大事な事だと思います。自分の罪を自覚しない人は、罪悪感がないのでどんどん罪を重ねてしまいます。自分の罪を自覚できる人なら反省し人間的に成長できるような気がします。