ジャズ、ハードロック、ブルースまで弾けるギターヒーロー
1952年生まれ2011年没。北アイルランド出身のギタリスト兼ヴォーカリスト。シン・リジィのギタリストとして注目され、1980年代にはハードロック系のギタリストととして日本で絶大な人気があり、後にブルースミュージックに傾倒。カリスマ性のあるギタリストとしてロックファンだけでなくミュージシャンからも人気がありました。
1969年にスキッド・ロウというバンドでデビューを果たし、その後、自身のリーダーバンドであるザ・ゲイリー・ムーア・バンドを結成しますが、ゲイリー・ムーアの名が世間に知られるようになるのは、フィル・リノットが中心に活躍していたシン・リジィに加入してからでした。シン・リジィの正式メンバーになる前にフュージョン系のコロシアムUというバンドを結成し活動していましたが、コロシアムUでは大ヒット作が生まれず、ハードロック系のバンドだったシン・リジィで注目を浴びる事になります。フィル・リノットは、ゲイリー・ムーアがデビューした時にスキッド・ロウのメンバーだった為、ゲイリーの才能を熟知しており、シン・リジィへの加入を依頼したようです。シン・リジィでの活動とほぼ同じ時期にソロアーティストとして『バック・オン・ザ・ストリーツ』などの名盤も発表していましたが、本格的にソロアーティストとして成功するのは、シン・リジィ脱退後、ヘヴィメタルブームだった1980年に発表したアルバム『大いなる野望』からです。このアルバムは、日本で驚異的なヒットとなり、ハードロックギタリストとしての彼の知名度を決定的に高めました。以降、ギターフリークに絶大な人気があり、彼が創り出す独特の美しいメロディの魅力にプロのミュージシャンからも評価が高まり、ブルース系のアーティスト、B・B・キング、アルバート・キングなどとの共演も多くなり、ミック・ジャガー、ポール・ロジャースなどの一流ヴォーカリストとも共演します。一時期ビート系の打ち込み音楽に音楽性が変わってしまった時期もありましたが、後にブルースミュージックに回帰し、昔からのファンを安心させました。2010年には再来日公演を行いファンを熱狂させましたが、2011年、休暇先のスペインで急死してしまいました。
影響を受けたギタリストとしては、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、リッチー・ブラックモア、ジミ・ヘンドリックス、ピーター・グリーンなどを挙げている通り、フュージョンからハードロック、ブルースまで幅広いジャンルで才能を発揮できる希少な存在でした。ソロデビューアルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』では、ハードロックからパンク、ジェフ・ベックに強い影響を受けたようなフュージョン系のサウンドを披露していますし、『大いなる野望』では、ディープ・パープルのドラマーだったイアン・ペイスを起用しリッチー・ブラックモアのようなハードロックサウンドを聴かせてくれます。そして、後期の黒人ギタリストも認めるほどのブルースフィーリングは、エリック・クラプトンやピーター・グリーンの影響も感じられます。リスナーの心を揺さぶる情感豊かなギターフレーズが最大の魅力ですが、彼は自分でヴォーカルができるので、良くあるバンド内での主導権争いやエゴのぶつかり合いというトラブルに悩まされず自分の音楽を追求できたのかもしれません。
感情を込めるという意味では世界一
歌にしてもギターにしても感情が込められている演奏は人を感動させるものです。ゲイリー・ムーアの場合、ギターのテクニックやソングライティングの才能だけなら世界一とは言えないかもしれませんが、リスナーに感情を伝えるという意味では世界一かもしれません。弾いている時の表情やアクションは、カッコ良く見せようという意図が感じられず感情をむき出しにした素のまま、しかもギターの音で感情がひしひしと伝わってくるので心が揺さぶられます。ラブソング、バラードを弾く時のフレーズからは、彼のピュアな人間性が伝わってきます。ハードロック系のミュージシャンだけでなく、ブルース系のミュージシャンにも愛される理由はここにあるのかもしれません。そういう意味では世界一でしょう。
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