ジョン・ボーナムの次に影響力の大きいハードロック・ドラマー
イギリス出身のドラマー。第1期ジェフ・ベック・グループ解散後、ジェフ・ベック・グループのオーディションに合格し、1971年に第2期ジェフ・ベック・グループのドラマーとしてメジャーデビュー。その後、元ディープ・パープルのギタリスト、リッチー・ブラックモアが率いるレインボーのメンバーとなり、ハードロック・ドラマーとしての絶対的な地位を築き上げる。ハードロック・ドラマーとしての影響力は絶大で、後のハードロック・ドラマーの、お手本となるスタイルとなり、ドラムセットに関してもハードロック・ドラマーのほとんどが、彼のドラム・セットをマネする程であった。レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムとともに、ハードロック系のドラマーとしてはカリスマ的な存在で、ジョン・ボーナムが死亡した後、レッド・ツェッペリンに参加するという噂もありました。
商業的なサウンドになってしまったレインボーに見切りをつけて、レインボーを脱退後は、レッド・ツェッペリンのヴォーカリストだったロバート・プラントのソロ・デビュー・アルバムのレコーディングに参加。また、マイケル・シェンカー・グループ、ホワイトスネイク、ブラック・サバスなどのバンドを渡り歩き、ハードロック界にはなくてはならない存在になり、ソロ・アルバムも3枚発表しています。1998年自動車事故により他界してしまいました。
ツーバス、ツータム、ツーフロアというドラムセットは、後に、ハードロック・ドラマーの最もベーシックなドラムセットのお手本になりましたが、本人もインタビューで語っている通り、テクニック的に優れたドラマーではありませんでした。好きなドラマーとして、ジャズ・ドラマーのバディ・リッチを上げていますが、ドラムソロ以外では、ジャズ的な細かいプレイはせず、ストレートで、ごまかしの無いハッキリと聴こえるビート、フィルインしかプレイしません。また、彼のドラミングの特長は、何と言ってもパワフルなプレイ、ワン・ステージで何枚もシンバルを割ってしまうほど破壊的なパワーがあり、ジョン・ボーナムを除けば、世界一パワフルなドラマーだったと思います。私もコンサートで演奏を観た事がありますが、ホント凄かった・・・。
人間的には、かなりナイスガイで、元レインボーのグラハム・ボネットなど、多くのミュージシャンに慕われていたようで、グラハム・ボネットは、コージー・パウエルと同じバンドで活動したいと言う理由で、マイケル・シェンカー・グループに参加するなど、特に仲が良かったようです。一方で、高額なギャラで、多くのバンドを渡り歩いていた為、金に汚いドラマーという悪評もありましたが、これは、レース資金調達という理由からだったようです。コージー・パウエルは、レーサーに転向しようと考えていたほどのレース好きで、自分でレーサーとしてモータースポーツに参加していました。モータースポーツのファンの方ならご存知だと思いますが、レースに参加する費用だけでも莫大な資金が必要になります。この為の資金をバンド活動のギャラで工面していたようです。