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参道(石段)
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手水所 |

神楽殿 |

境内社群 |

境内社1
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拝殿
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扁額 |

内陣 |
本殿覆屋 |
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高太神社
弘仁年間((810~24)に創建されたかつての村社の一つ。
長禄2年(1458)に再建されたと伝えられている。
現在の本殿は軒札から寛政5年(1793)に建立されたと推察され、
江戸時代の後期の彫刻建築様式をよく残している。
祭神は大山咋之命、誉田別命、息長足姫命ほかを祀る。
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一の鳥居 |

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総門
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仁王像(吽形)
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仁王像(阿形)
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惣門扁額
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妙義神社1
創建は第28代・宣化天皇2年(537)。
妙義山を神として祀ったのが始まり。
古くは「波己曽大神」と称した。
「波己曽」とは「岩社(いわこそ)」の意。
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大杉(天然記念物)
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境内社1 |

青銅製鳥居
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御手洗所 |
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狛犬(吽形)
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狛犬(阿形)
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波巳曽社(旧本社・県重文)
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波己曽社内陣
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天井絵 |
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妙義神社2
鎮座する妙義山は上毛三山(赤城山、榛名山、妙義山)の一つで、
その特異な景観から、古くは山岳信仰や自然崇拝的な信仰の対象となった。
醍醐天皇に仕えた権大納言長親卿がこの地に住み、
明々魂々垂山の奇勝をめで、「明魂」と名付けた。
後に「妙義」と改めたといわれている。
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境内社2
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長い石段
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随身門
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左大臣
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右大臣 |

赤鬼
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青鬼 |
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妙義神社3
江戸時代には上野東叡山宮御兼帯の格式を得ると、
歴代将軍や皇室などから崇敬、庇護され、隆盛した。
妙義百軒と称されるほど繫栄したと伝えられている。
祭神は日本武尊、豊受大神、権大納言長親卿を祀る。
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社殿からの眺望
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献灯籠
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唐門
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唐門天井絵
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唐門扉彫刻2
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唐門扉彫刻1
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拝殿
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拝殿彫刻1
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拝殿彫刻2 |
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妙義神社4
明治期の神仏分離令まではここは神仏混交で神域の上は神社、
下は白雲山高顕院石塔寺という別当寺であった。
現在の総門はその名残で、石塔寺の仁王門である。
創建は安永2年(1773)の建造で、国の重要文化財になっている。
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拝殿彫刻4
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拝殿彫刻3
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拝殿扁額
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拝殿彫刻5
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拝殿内陣
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拝殿襖絵2 |

拝殿襖絵1 |
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妙義神社5
仁王門をくぐると参道の石段に青銅製の大鳥居が見える。
うっそと茂った樹林をバックに大杉が立つ。
ここから長い石段が続く。
石段が途切れたところに波己曽社が建つ。
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妙義神社6
波己曽社は妙義神社の旧本殿で、県の重要文化財になっている。
現在の本殿に負けず劣らずの豪華な造りになっている。
石段を登りきったところに随身門(県重文)が建つ。
江戸時代の明暦頃に建てられたものという。
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石塔群 |

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境内社(愛宕社) |
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社務所 |

社務所玄関 |

宮様御殿 |

石垣(市重文) |
妙義神社7
随身門に続いて唐門が建つ。
明暦6年(1660)の建立で、社殿ともども豪華な造りで、国の重要文化財になっている。
社殿は代表的な権現造で、黒漆塗銅葺入母屋造りになっている。
このほか境内には宮様御殿や高さ10mの石垣など文化財が多い。
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