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御蔵山古墳 6世紀前半頃に造られた全長62m、高さ約5mの前方後円墳。 後円部径約35m、前方部長さ約27mで、三段築成になっている。 周囲からは土器や埴輪の破片などが出土している。 墳頂には雷神社があり、主祭神は大雷神、配神に大物主命を祀る。 |
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蒲生神社 大正元年(1912)、蒲生君平先生九十九年祭執行の際、 神社創建の話が起こり、「蒲生会」が結成された。 大正十五年、蒲生神社本殿が竣工された。 蒲生君平は宇都宮で生まれた江戸後期の学者で、 学問の神様として今も参拝者が絶えない。 |
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慈光寺1 大悲山無縁院慈光寺という浄土宗のお寺。本尊は阿弥陀如来。 永正3年(1516)、下野宇都宮氏第17代宇都宮成綱が鬼門の鎮護を目論見開基した。 境内には樹齢150年のヒガンザクラがあり、サクラの名所としても知られている。 |
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慈光寺2 安永7年(1778)、枝源五郎が町民から資金を集め、朱塗りの赤門がつくられた。 第二次大戦で焼失したが、平成20年に復興された。 赤門には阿吽の金剛力士像が安置されている。 境内は広く、よく管理されていて、サクラが見事であった。 |
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宇都宮城址公園1 宇都宮城を築いたのは藤原秀郷とも藤原宗円とも言われているが、 平安時代後期より宇都宮氏代々の居城となり、関東七名城の一つに数えられていた。 江戸時代には将軍家の日光社参の折の宿泊場所ともなった。 幕末の戊辰戦争で大半が焼失した・・・ |
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宇都宮城址公園2 宇都宮市制110周年の平成18年度に 宇都宮城址公園として約140年ぶりにその一部がよみがえった。 公園内には宇都宮城ものしり館があり、 城址から出土したかわらけ、木製品、瓦などが展示されている。 |
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宇都宮城址公園3 公園内には復元された濠や土塁、2基の櫓などが残る。 富士見櫓は文字通り、遠く富士山を見ることが出来たとか。 清明台は宇都宮城の天守閣の役割を果たしていたとも言われている。 |
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亀井の水 「宇都宮七名水」の一つに数えられていた名水。 ここには静御前や亀井六郎にまつわる伝説が残る。 平氏滅亡後、静御前が亀井六郎とともに義経の後を追い、この地で喉の渇きを覚えた。 亀井六郎が地面を槍でついたところ清水が湧き出て、その水で喉の渇きをいやしたという・・・ |
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亀井山清水院常念寺という浄土宗のお寺。本尊は阿弥陀如来。 開基は良正上人で、慶長17年(1612)の創建。 江戸時代幕末の戊辰戦争ゆかりお寺で、 境内には彰義隊数士之墓がある。 |
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善願寺1 福寿海山無量院善願寺という天台宗のお寺。 延暦15年(796)、坂上田村麻呂が東征の途上にこの地で観音の夢を見たことから、 草庵を作り如意輪観音像を安置したと伝えられている。 陸奥平定後、この地に堂宇と庵室を建立した。 |
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善願寺2 永正元年(1504)舜海法印が伽藍を整えた。 享保20年(1735)、栄鈷和尚の願いにより、銅造廬舎那仏座像を建立。 この像は宇都宮大仏として知られている。 |
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栃木歴史散歩 | |||||||||||||||||
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