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高雲寺1 湖東山高雲寺という曹洞宗のお寺。本尊は釈迦牟尼仏。 承応3年(1654)に開山された。 天保12年(1841)には寺子屋が開かれた。 明治29年(1896)まで地域の学びの舎となった。 現在の「吉岡小学校」の発祥の地。 |
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高雲寺2 曹洞宗のお寺らしく、どっしりとした重厚感のある寺になっている。 境内には水子地蔵尊はじめ、石造物がある。 とりわけ、十六羅漢はそろって見ごたえがある。 |
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高雲寺3(十六羅漢) 十六羅漢は本来正法護持のための修行者の一群で、 特に禅宗系では修行の階程として古くから尊崇されてきた。 それぞれの修行者のダイナミックな姿勢には目を見張るものがある。 |
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正福寺 沼黒山法性院正福寺という真言宗智山派のお寺で、地蔵菩薩を祀る。 創建年代とは不詳ながら、江戸時代後期の新編武蔵風土記には 沼黒に鎮座していた瀧明神社の別当を務めていたという。 正福寺の額とともにいぼとり地蔵尊で有名。 |
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諏訪神社(下恩田) 祭神は建御名方神を祀る。 創建などは不詳ながら、明治期の合祀政策により、 上恩田、中恩田の神社を下恩田の諏訪神社に合祀したとされている。 二つの神橋があり、落ち着いたたたずまいを見せている。 |
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本殿 |
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南市田神社 創建等は不詳で、明治22年に近隣11ヶ村が合併して、 市田村が成立した際に、11ヶ村の鎭守を 中曽根の五社神社に合祀して南市田神社とした。 祭神は瀬織津姫命他を祀る。 |
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西明寺1 瑠璃光山西明寺という真言宗智山派のお寺で、阿弥陀如来を祀る。 創建年代等は不詳ながら、 江戸時代後期にはこの地にあった。 法流の祖は傳輿といわれている。 |
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西明寺2(火伏稲荷) 西明寺の境内には「火伏稲荷」がある。 江戸時代後期に西明寺の住職であった秀範法印が 度重なる伽藍の火災に困り、伏見稲荷の分社として祀った。 3月の初午の日には盛大に祭りが行われる。 |
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吉見神社 創建等は不詳ながら、延喜式内社の「横見神社」の論社ではないかといわれている。 景行天皇56年に大里郡を設置し、天照大神を祀ったといわれている。 平安時代にはこの辺りが伊勢神宮の神領であったことから神明社を祀ったともいわれている。 古くは上吉見領13ヶ村の総鎮守であったが、江戸時代には相上のみの鎭守となった。 |
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とうかん古墳 箕輪地区にある古墳で、全長74m、高さ約7mの前方後円墳。 後円部高さ5.5m、前方部7.6mで墳頂には稲荷社(おとうか様)がある。 発掘調査は行われていないが、埴輪片などが採取されており、 6世紀中ごろの築造と考えられている。 |
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保安寺1 箕甲山保安寺という曹洞宗のお寺。 慶長18年(1613)、浄空院第4世・春的大和尚(1625示寂)が開山した。 400年の歴史を持ち、別名「あじさい寺」として親しまれている。 また、十三仏の霊場としても有名である。 |
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保安寺2(十三仏) 十三仏とは故人や先祖を見守り、 極楽浄土に行けるように導いてくださる仏様。 中国の道教の十王信仰に日本独自の忌日が加わり、十三仏となった。 不動明王から虚空像菩薩までの十三の仏が揃っている。 |
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冑山神社1 冑山古墳の上に鎮座する神社。 冑山古墳は武蔵国造兄多毛比命の墳墓と考えられている。 慶長13年(1608)に古墳を村人が発掘したところ、 疫病が流行したことから、発掘地を埋め戻し、 祟りを鎮めるために八幡神を祀ったといわれている。 明治初年に冑山神社と改称し、その後、日吉神社を合祀した。 祭神は兄多毛比命、誉田別命、大山咋命、素盞鳴尊を祀る。 |
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全長90m、高さ11.25mで二段築盛の大型円墳。 冑型の形からこの名がついた。 さきたま古墳群の丸墓山古墳(105m)に次ぐ、県内第2位の大きさを誇る。 墳頂には八幡様の本殿が祀られている。 この本殿は宝暦2年(1752)に創建され、妻沼の聖天山と同じ製作者と見られている。 |
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根岸家住宅 根岸家は熊谷次郎直実の末裔といわれている。 江戸時代の当地域の 名主を務める豪農であった。 長屋門は幅13間、奥行き3間、屋根棟高10mを越え、 市の文化財に指定されている。 |
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