埼玉歴史そぞろ歩き
行田市
忍城址





城門

御三階櫓

忍城の鐘

忍城の鐘(表から)

竹林

忍城址

室町時代この地を統一した成田氏によって築城されたと伝えられている。
城が築かれた場所は北は利根川、南は荒川に挟まれた低湿地で、自然堤防などを巧みに利用して築かれた。
そのため、難攻不落の名城といわれ上杉謙信の北条攻めや石田三成の水攻めにも屈しなかった。
現在の浮城「忍城」は本丸土塁と諏訪曲輪の一部が残る。
諏訪神社1

大鳥居


鳥居

諏訪神社

狛犬(吽形)

狛犬(阿形)

扁額

拝殿内部

多度社
諏訪神社(行田)

創建は建久年間(1190頃)忍三郎・五郎等の一族が館を築いた時と言い伝えられている。
また、成田親泰が延徳3年(1491)に忍城を築城した際、城の鎮守としたのが始まりとも。
寛永16年(1639)城主となった阿部忠秋が城郭を修築し、正保2年(1645)に本殿を、
寛文12年(1672)に拝殿を新たに建立した。(現在の社殿は昭和36年の造営)
祭神は健御名方命、八坂刀売命を祀る。
東照宮(行田)

二の丸稲荷社


東照宮鳥居

拝殿

狛犬(吽形)

狛犬(阿形)

賽銭箱

拝殿扁額

脇鳥居
東照宮(行田)

文政6年(1823)、松平忠義は桑名から移封するにあたり、場内へ東照宮、多度社などを勧請した。
これらは明治の城郭取り壊しの際、諏訪神社境内に移された。
祭神は徳川家康公ほかを祀る。
このほか、二の丸稲荷大神はじめ9社も同時に移された。
八幡神社(行田)1

鳥居

境内

狛犬(吽形)

狛犬(阿形)

拝殿扁額



なでもも

愛宕神社

八幡神社(行田)1

口碑によると、源頼義・義家が奥州討伐のため、この地に滞陣した折、戦勝を祈願して勧請されたと伝えられている。
天文年中、現在の場所に移され、成田下総守長泰公は深く当社を崇敬し、社殿を修補し城下の総鎮守とした。
その後、江戸時代には阿部氏も深く崇敬された。
祭神は誉田別命、気長足姫命、比売大神ほかを祀る。
八幡神社(行田)2

恵比寿・大国社

三峰社

目の神社

瘡守稲荷社


戌亥八幡

水神社
八幡神社(行田)2

この八幡神社には境内社が多く、兼務神社も多い。
よく整備されお祀りしているので一部紹介しよう。
瘡守稲荷社は食物の神・稲荷社だが、瘡守があらわすようにおでき、吹き出物の神様。
珍しいところでは目の社は名の通り眼病の神として信仰されている。
なで桃はその名の通り、撫でると延命長寿、病魔退散とか・・・
清善寺1

入口

新兵衛地蔵尊石灯籠

参道

山門

山門扁額

石仏

六地蔵

多重石塔

鍾堂
清善寺1

平田山清善寺という曹洞宗のお寺で、本尊は釈迦如来三尊仏。
永享12年(1440)、成田刑部少輔顕忠により、平田精舎として創建された。
顕忠死後、15代親泰はその死を悼み、平田山清善寺として一寺を建立した。
天文2年(1533)16代長泰により再興、宗佐和尚を迎えて忍城に開山したという。
清善寺2

本堂

本堂扁額

本尊・釈迦三尊

地蔵尊額堂

石碑

新兵衛地蔵尊


石仏群

大瀧新兵衛像
清善寺2

境内には新兵衛地蔵尊が祀られている。
新兵衛地蔵尊の建立者は地元出身の大実業家・大澤龍次氏。
父新兵衛の報恩追善の行として、無縁塚を建立し、地蔵尊を奉安して供養した。
それ以来、5月8日を大祭と定め、遠近からの信仰を集めている。
観福寺


山門

無縁仏

鍾堂

六地蔵幢

弘法大師像

本堂


阿弥陀三尊石板碑(国指定)

石板碑二基(国指定)
観福寺

慈眼山真南院観福寺という高野山真言宗のお寺。
創建は不詳ですが、室町時代の創建と考えられている。
境内には河原太郎高直、次郎忠家の供養板碑と伝えられている南河原石塔婆がある。
行田十五ヶ寺救済菩薩霊場第六番札所。
真観寺1


山門

山門扁額

本堂

本堂扁額

本堂内部

本尊

弘法大師像

阿弥陀一尊種子板碑


地蔵菩薩

石仏群
真観寺1

慈雲山福聚院真観寺という真言宗智山派のお寺。
縁起によれば蝦夷の鎮圧に活躍した坂上田村麻呂が開創したと言い伝えられている。
瀧憲鏡阿闍梨(1242寂)が開山となり創建、
慶長9年(1604)には寺領10石の朱印を拝領した。
真観寺2

観音堂山門

聖観音菩薩像

仏像

鍾堂

観音堂

観音堂内部

観音堂扁額


奉納額
真観寺2

境内には観音堂があり、聖観音が祀られている。
観音堂は正徳2年(1712)に建立され、天井には四人の天女が描かれている。
内陣には厨子があり、この中に木造聖観音立像が安置されている。
仁王門は天文4年(1739)建立といわれ、二階建ての楼門になっている。
真観寺古墳


古墳入り口

前方部

後円部

後円部より前方部を眺める

前方部より後円部を見る


石室
小見真観寺古墳

真観寺裏の古墳で、全長112m、高さ8mの前方後円墳。
後円部と鞍部の2カ所に横穴式石室がある。
明治13年の発掘調査では冑、桂甲小札ほか多くの副葬品が出土している。
七世紀前半の築造で、埼玉古墳群に後続する首長の墓として貴重である。
虚空蔵山古墳


前方部墳丘



虚空蔵堂

お堂内部
虚空蔵山古墳

小見古墳群に属する前方後円墳で、東西26m、南北19m、高さ約3m、推定墳長約60m。
周辺で採集された埴輪片などから6世紀後半の築造と考えられる。
現在は前方部の墳丘の一部が残るのみで、
墳頂には名前の由来となる虚空蔵菩薩が祀られている。
埼玉歴史そぞろ歩き
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