1999年、フランス、アメリカ合作。監督は『グラン・ブルー』『レオン』などのリュック・ベッソン、出演は、『ミリオンダラー・ホテル』のミラ・ジョボビッチ、『卒業』のダスティン・ホフマン、『さすらいの航海』のフェイ・ダナウェイ、『ラウンダーズ』のジョン・マルコビッチ、『イースタン・プロミス』のチェッキー・カリチョ、『ギャンブル・プレイ』のヴァンサン・カッセルなど。100年戦争でイギリスの支配からフランスを救った伝説のジャンヌ・ダルクを描いた伝記映画。
リュック・ベッソン監督の超大作で、かなり話題になった作品です。ミラ・ジョボビッチを主演に起用したのは、大正解で、あどけない少女のような表情から、男勝りの兵士としての勇ましい表情、そして信仰の中で苦悩するクリスチャンとしての苦悩まで見事に演じきっています。最初に観た時に感じたのは、公私共に親しかったミラ・ジョボビッチの為に製作した映画なのかな?という感想で、ミラ・ジョボビッチの他にもアメリカ、フランスの有名俳優が多数出演しているにも関わらず、とにかく主演女優だけが目立つ映画で、当時の戦闘を忠実に再現したと言われても、グロテスクで生々しい映像には感動できませんでした。神の存在を信じる人と無心論者の主張という根底にあるテーマを考えなければ、ちょっと退屈な作品でした。ジャンヌ・ダルクの生涯は何度も映画化、ドラマ化されていますが、どの作品も感動作としてオススメできるような作品ではありません。基本的に、ジャンヌ・ダルクの物語はあまり映画向きでは無いような気がします。本作で最も象徴的なのは、一般的に考えられているようにジャンヌ・ダルクが神の声を聞いてそれに従いフランス軍を勝利に導いたという考えを否定している点です。多分、リュック・ベッソン監督は無神論者、あるいは反キリスト的な立場にいるんでしょう。ジャンヌが不思議な体験をする場面でキリスト、あるいは天使のような存在が描かれていますが、その俳優の表情や描き方に神聖さは全く感じられず、そういう存在に対しての悪意すら感じるような描き方をしています。また、ダスティン・ホフマンが演じる隠者が、ジャンヌの心の声のように描かれていますが、これは信仰を否定する自分の声ではなくて悪魔でしょう。そういう無心論者の視点で考えるとジャンヌの人生は、本当に報われない悲しい人生を歩んだ少女という結末になってしまいます。神が存在するかどうかというテーマを抜きに考えれば、娯楽作品の中ではB級レベルだと思います。リュック・ベッソン監督らしいリアルで躍動感のあるアクション、美しい映像も楽しめる作品なので、リュック・ベッソン監督のファンなら不満は無いかもしれませんが、残虐なシーンもあるのでデリケートな方や無神論的な視点の映画の嫌いな方はパスした方がいいでしょう。
昔、一部のロックミュージシャンにも注目されたアレイスター・クロウリーという悪魔崇拝者がいました。レッド・ツェッペリンのギタリストとして有名なジミー・ペイジは、クロウリーの住んでいた城を購入した事もありますし、ビートルズの名盤『サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド』のアルバムジャケットにもクロウリーの写真が含まれています。また、オジー・オズボーンのソロデビューアルバム『ブリザード・オブ・オズ・血塗られた英雄伝説』には、クロウリーについて歌った『ミスター・クロウリー』という曲が収録されています。ロックの反逆精神やオカルト趣向に最適なテーマなのかもしれませんが、実は、クロウリーは晩年、自分が悪魔崇拝を主張して悪魔を肯定すればするほど、神の存在をアピールしてしまう事に気づき、活動をやめてしまったそうです。この作品でも神や天使に対して否定的な描き方をしていますが、それによって逆に神の存在を嫌でも痛感せざるを得ない作品になっています。神やクリスチャンに対しての悪意を感じる作品ですが、逆効果だったみたいですね。
君が必要で、お選びになった、いつか君をお呼びになる
なぜ自分は存在しているんだろうか?と考える事ありませんか。まだ生きているなら、何か自分にもやるべき事があり、誰かの役に立てるはずです。
私は考えない、神のご意思に従う
ほとんどの人は、自分の為に生きていますが、神様の意思を行う為に生きようと決意している人もいます。そういう人は自分の私利私欲を優先するのではなく、貧しい暮らしをしていたりしますが、神様によって必ず良い報いが得られると思います。
善悪の区別ができるのか
何が正しくて、何が間違っているのかを判断するのが難しい場合があります。国や民族によっての価値観の違い、宗教的な道徳観の違いなどもあるので混乱する事もあると思います。逆に自信満々で自分の価値観が正義と考えてしまうほうが怖いですね。
いつかあなたも裁かれる
私達は、罪を犯した場合、自分の住む国の法律に従って裁かれます。もし、無実なのに裁かれたり、陥れられたりしても世俗の裁きにゆだねなければなりません。でも、無実の人を裁いたり、偽証をして人を陥れたりする人には、最終的に神の裁きが待っています。
本当に神の使いなら?
イエス・キリストは処刑されましたし、ジャンヌも処刑されました。神の使いを迫害し処刑した人々の罪の大きさは計り知れません。もしかしたら、あなたの近くにいる信心深い人を迫害したり処罰したりすると同じような罪を犯すことになってしまうのかも。
高慢で、頑固でした。利己的で、無慈悲でした
ジャンヌが反省する時の言葉ですが、全ての人間が自問すべき点かもしれません。自分が高慢になっていないか、頑固な態度で人に接していないだろうか、自分の事ばかり考える利己的な人間ではないか?人に対して慈悲深いの心で接しているだろうか?これらの点を考えて謙虚になれれれば最高でしょうね。