スティーブ・ウィンウッドとエリック・クラプトンのスーパー・バンド
1969年にエリック・クラプトン、スティーブ・ウィンウッドが中心になり結成されたスーパーバンド。メンバーはエリック・クラプトン(G)、ジンジャー・ベイカー(Ds)、スティーヴ・ウィンウッド(Key・Vo)、リック・グレッチ(B)の4人。クリーム解散後、エリック・クラプトンとジンジャー・ベイカーというクリームのメンバー2人と、天才少年として騒がれた元トラフィックのスティーブ・ウィンウッドが同じバンドに在籍するという奇跡のようなバンドで、1969年6月にロンドン、ハイドパークでのデビュー・ライブには、10万人の観客が押し寄せました。その後ライブツアーを開始、同年8月にはアルバム『スーパー・ジャイアンツ』を発表してレコードデビュー、このアルバムはイギリス、アメリカでチャート1位となるヒットを記録しますが、ライブツアーが終了した10月に解散、スーパーバンドとして人気のあったブラインド・フェイスの活動期間は、約5ヶ月間でした。
エリック・クラプトンとしては、クリーム在籍時に、ベースのジャック・ブルースの不仲からトラブルの絶えなかったジンジャー・ベイカーの加入については、消極的だったようです。しかし、このバンドが短命に終わったのは、ジンジャー・ベイカーがトラブルメーカーとして本領を発揮したというより、エリック・クラプトンとスティーブ・ウィンウッドという、あまりにも個性の強いアーティストがお互いに妥協しながら創作活動を続けるのが不可能だったからと考えられます。二人とも個性的な作曲能力があり、リードヴォーカルをとれるので、どちらかが主役になると、もう一人がサポートミュージシャンの様な立場になってしまい音楽的な才能を半分しか発揮できないような状況でのバンド活動には無理があったのでしょう。夢のような共演を楽しめるという反面、それぞれのアーティストの100%の演奏が楽しめないというデメリットも出てきてしまうので、本人たちにとっても、ファンにとっても、解散が最良の手段だったと思います。
ジミ・ヘンドリックスは、スティーブ・ウィンウッドの大ファンで、彼と一緒にバンド活動をするのが夢だったそうですが、皮肉な事に、ライバルのエリック・クラプトンがバンドを結成してしまいました。しかし、仮にジミ・ヘンドリックスが、スティーブ・ウィンウッドとバンドを結成できたとしても、エリック・クラプトンが挫折したように、バンド活動は長続きしなかったような気がします。失望を味わないで済んだジミ・ヘンドリクスの方が幸せだったのかもしれません。