商業的な音楽を嫌いヤードバーズを脱退したエリック・クラプトンは、ブルースバンドであるジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに参加したものの、アメリカのブルースミュージシャンのマネをするだけの音楽に失望し、クリームを結成。その後、スティーブ・ウィンウッドとブラインドフェイスを結成。デレク&ザ・ドミノス以前のエリック・クラプトンは、自分らしい音楽を追求する過程にすぎず、このバンドでやっと自分の音楽性を発見できたと言ってもいいと思います。実際に、このアルバム以降、基本的な音楽の方向性がはっきりと決まっています。
デラニー&ボニー&フレンズのツアーに参加し、ブルースを中心とするアメリカ南部の音楽と、アメリカのミュージシャンに強い影響を受けたエリック・クラプトンは、デラニー&ボニーのバンドからボビー・ウィットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードンの3人を引き抜いてデレク・&・ザ・ドミノスを結成。ボビー・ウィトロックのすすめもあり、本格的にリードヴォーカルも努める事になります。アルバムにはオールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマンもゲスト参加、ツアーにも参加しています。
クリームの頃から、ライブ演奏を重視していたエリック・クラプトンですが、このアルバムは、ジャム・セッションの中からアイディアを出し、それを発展させて曲として完成するスタイルになっているようです。名盤『いとしのレイラ』のスタジオでのセッションのテイクを収録した『レイラ・セッション』でも、その様子を聴く事ができます。バンド全員で演奏したテープにギターやコーラスなどを重ねているようで、タイトなサウンドではありませんが、ライブ演奏に近い臨場感があります。このレコーディング方法も、この後しばらくエリック・クラプトンの基本的なレコーディング方法になります。
残念ながら、メンバー間のトラブルが原因で、スタジオアルバム1枚とライブアルバム1枚のみで解散してしまいますが、アルバム『いとしのレイラ』は、エリック・クラプトンのベストアルバムと考えるファンも多く、このアルバムだけでロックの伝説となり、その後のロックシーンに多大な影響を与えました。