埼玉歴史そぞろ歩き
行田市2
天洲寺


仁王門

仁王1

仁王2

太子堂

奉納額

内部

聖徳太子像

本堂

本堂扁額
天洲寺

聖徳山天洲寺という曹洞宗のお寺。
荒木長善の子八左ヱ門が開基、清善寺5世天洲全尭和尚が開山となり、慶長12年(1607)に創建したといいます。
境内の大師堂には聖徳太子16歳の御影の尊像が祀られている。
寛元5年(1247)の墨書銘があり、国の文化財になっている。
地蔵塚古墳



地蔵塚古墳x全景

石室入り口

地蔵堂


万葉歌碑
地蔵塚古墳

若小玉古墳群に属する古墳で墳頂に地蔵堂を安置することから地蔵塚古墳と呼ばれている。
墳形は方墳と思われ、一辺約28m、高さ約4.5mで、築造は7世紀中葉と考えられている。
石室の形状は胴張で、石室内から鉄鏃片などが出土している。
この古墳の最大の特徴は石室壁面に線刻画が描かれている。
万葉歌碑は八幡山古墳公園内にある。
八幡山古墳



古墳全景

石室

古墳石組(復元)右より

古墳石組(復元)左より

八幡山古墳

7世紀前半に作られた直径約80mの大型の円墳と推定される。
露出した石室がすべて見えることから「関東の石舞台」と呼ばれている。
「埼玉古墳群」の築造終了した後を引き継いだ若小玉古墳群の主墳。
東国では珍しい夾紵棺が出土したことから、武蔵国造に任命された物部連兄麿の墓ではないかともいわれている。
成就院1


山門

六地蔵

地蔵尊ほか

石祠

宝篋塔

本堂

本堂扁額

道祖神

不動明王
成就院

五智山成就院という真言宗智山派のお寺で、不動明王を祀る。
天正年間、}有阿闍梨が創建したと伝えられている。
行田忍城下七福神の寿老人を祀る。
境内には子持ち石、ぴんころ地蔵尊など多くの石造物が残る。
成就院2

七福神

子持ち石

ぴんころ地蔵

弘法大師像

三重塔

正面

葉衣観音像
成就院2

享保14年(1729)、芳宥和尚の代に三重塔が建立。
忍城主阿部豊後守忠秋公の帰依仏といわれる葉衣観音が安置されている。
総高10m、柱間2.14mの三重塔で、
県内には三重塔が三基しかなく、県の文化財になっている。
埼玉古墳群


埼玉県名発祥の地


瓦塚古墳

全景

後円部

前方部
埼玉古墳群1

埼玉県名発祥の地
さいたま史跡の博物館の入り口に埼玉県名発祥の碑が建立されている。
ここ行田市さいたまの地は巨大古墳群の所在地であり、また、「前玉神社」の鎮守する所です。
おそらく古代においては埼玉郡の中心地であったと考えられる。
ここに碑を建て、県名発祥の記念とする・・・

瓦塚古墳
全長73m、後円部径36.5m・高さ5.1m、前方部幅47m・高さ4.9mの
前方後円墳で、6世紀前半ごろに作られたと考えられる。
二重の周堀が巡り、前方部の西側に作りだしが見られる。
発掘調査により、多くの円筒埴輪などが並べられていたことが分かった。
前玉神社


鳥居

参道

二の鳥居

舞楽殿

弁財天

三の鳥居


浅間塚古墳
前玉神社1
前玉神社は古墳の墳頂にある。
その中腹には境内社の浅間神社がある。
江戸時代の初めの富士浅間信仰の繁栄を背景に、忍城中にあった浅間神社を勧請した。
その名をとって、その古墳を浅間塚古墳というようになった。

浅間塚古墳
高さ8.7m、直径58mの円墳ですが、かつては前方後円墳ではないかともいわれている。
築造は7世紀前半と推測されていますが、5〜6世紀前半という説もある。
近年の調査では幅10mの周濠が確認されている。
前玉神社

浅間神社

境内社1


石灯籠

石段


前玉神社拝殿

拝殿内部

境内社

祖霊殿

内部
前玉神社2

「延喜式神名帳」に記載された式内社で、祭神は前玉比売神、前玉彦命を祀る。
この前玉(さいたま)が武蔵国前玉郡となり、その後埼玉郡となり、埼玉県という県名が生まれた。
女神と男神が一緒に祀られていることから、恋愛成就の祈祷に訪れる参拝客が多い。
墳頂にある「前玉神社」を「上の宮」、中腹にある「浅間神社」を「下の宮」と呼んでいる。
埼玉古墳群

中の山古墳全景


前方部

後円部

奥の山古墳全景


前方部


後円部
中の山古墳
墳長79m、後円部径42m・高さ5,1m、前方部幅44m・高さ5.4mの前方後円墳。
渡柳にある古墳で、三基のうち中央にあるのでこの名が付いた。
墳丘は前方部の保存状態は良いが、後円部が削平され変形している。
埼玉古墳群最後の前方後円墳で、出土品などから6世紀末から7世紀初めの築造と考えられている。

奥の山古墳
墳長70m、後円部径43m・高さ6・8m、前方部幅47m・高さ7.4mの前方後円墳
渡柳にある古墳で三つの古墳の中で一番奥にあることからこの名が付いた。
以前は一重盾形の周溝と考えられていたが、二重の周溝であることが分かった。
埼玉古墳群中二番目に小さい前方後円墳。
埼玉古墳群

鉄砲山古墳


前方部

後円部


二子山古墳

前方部

後円部
鉄砲山古墳
墳長109m、後円部径55m・高さ9.0m、前方部幅69m、・高さ10.1m。
6世紀後半の築造で、埼玉古墳群中三番目に大きい前方後円墳。
二重の濠があるが、埋葬施設は発掘調査が行われていないため形態は不明。
墳上の西側は中央部が変形しているが、東側の保存状態は良い。

二子山古墳
墳長138m、後円部径67.0・高さ11.7m、前方部幅83.2m・高さ13.3m。
埼玉古墳群中でも最大の前方後円墳です。
二重の堀に囲まれており、二つの山が連結したような形からこの名が付いた。
埋葬施設は発掘調査がされておらず、出土した埴輪などから6世紀初頭前後に造られたと推定される。
埼玉古墳群

将軍山古墳


後円部

前方部

円筒埴輪

展示室

石室復元

将軍塚古墳

墳長90m、後円部径39m・高さ8.4m、前方部幅68m・高さ9.4m(復元)。
6世紀後半に築かれた前方後円墳。
明治時代に後円部にあった横穴式石室が発掘され、馬具や環頭太刀など豊富な副葬品が出土した。
墳丘東側が削平されており、石室の一部が露出していて、墳丘と周堀の復元を行い整備した。
平成9年(1997)に古墳内部に石室などの複製、復元を行い将軍塚古墳展示室としてオープンした。
古墳の頂上と中段の平坦な部分に埴輪が並べられ、墳丘の周りには二重の堀が巡っている。
埼玉古墳群5

稲荷山古墳

登り口

墳頂より二子山古墳を眺める

稲荷山古墳から見た丸墓山古墳


発掘資料

丸墓山古墳から忍城を眺める
稲荷山古墳
墳長120m、後円部径62m・高さ11.7、前方部幅74m・高さ10.7m。
5世紀後半に造られた前方後円墳で、埼玉県内では二番目に大きい。
また、埼玉古墳群では最初に出現した古墳で、以前墳頂に稲荷社があった。
ここからは金錯銘鉄剣(国宝)や甲冑、馬具などが出土した。

丸墓山古墳
直径105m、高さ18.9mで日本最大級の円墳として有名。
墳丘の高さは埼玉古墳群中最高で、頂上に立てば古墳群が一望に出来る。
埋葬施設は発掘されていないが、出土した埴輪などから6世紀前半ころに造られたと推定されている。
天正18年(1590)忍城の水攻めには石田三成がここに陣をはった。
天祥寺


山門

本堂

生忘庵


松平家の墓

愛宕山古墳

天祥寺
海東山天祥寺という臨済宗妙心寺派のお寺。
奥平松平下総守家の藩祖松平忠明公(天祥院殿)が開基となり、寛永年間に大和郡山に創建された。
9代忠尭の代、文政6年(1823)に桑名藩より忍藩に移封、当寺も当地に移転した。
忍城主・松平家の菩提寺で、9代、11代、12代の墓が残る。

愛宕山古墳
墳長53m、後円部径30m・高さ3.4m、前方部幅30m・高さ3.3m。
埼玉古墳群中最小の前方後円墳。以前墳頂に愛宕神社が祀られていた。
墳丘はやや変形しているが、前方部は南側になっている。
出土品から二子山古墳に近い時期6世紀前半に造られたと推定されている。
1.金鑚神社 2.児玉2 3.川本 4.深谷1 5.岡部1 6.岡部2 7.本庄早稲田 8.本庄2 9.本庄3 10.本庄4  
11. 深谷2 12.深谷3 13.深谷4 14.深谷5 15.深谷6 16.深谷7 17.熊谷1(妻沼1) 18.熊谷2(妻沼2) 19.熊谷3 
20.熊谷4  21.  熊谷5  22.熊谷6  23.熊谷7  24.熊谷8 25.熊谷9 26.行田1 27.行田2 28..
 

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