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鴻巣市歴史民俗資料コーナー1 鴻巣市文化センター・クレアこうのすの中に 鴻巣市歴史民俗資料を展示するコーナーがある。 鴻巣市の文化財、埴輪などの出土品が展示公開されている。 規模は小さいものの埴輪の優れ物が並ぶ・・・ |
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巣市歴史民俗資料コーナー2 鴻巣市には東日本最大級といわれる国内でも屈指の埴輪生産遺跡「生出塚埴輪窯跡」がある。 宅地造成のため消滅したことから、そこから出土した国の重要文化財の埴輪を展示している。 人物埴輪から家、馬、鳥、更には円筒埴輪、盾型など様々な埴輪が一堂に見られる。 |
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願勝寺1 天照山良忠院勝願寺という浄土宗のお寺。 文永年中(1264〜75)、登戸に記主禅師が創建したと伝えられている。 天正年間(1573〜92)、清厳上人により中興され、 浄土宗関東十八壇林(僧の養成塾)の一つになった。 |
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願勝寺2 慶長9年(1604)、徳川家康より寺領30石の朱印状を拝領した。 徳川将軍家ゆかりの寺として、「三つ葉葵紋」の使用を許された。 松平秀康から結城で使用していた御殿を拝領した。 徳川将軍家の鷹狩の時の休憩所となった。 |
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願勝寺3 境内には多くの文化財があり、古い歴史を今に伝えている。 本堂をはじめ仁王門、龍寿殿、惣門など多くの堂宇が点在する。 春には境内には桜が咲き誇り賑わう。 秋には関東三大十夜が行われ、人形供養も行われる。 |
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願勝寺4 また、多くの大名の菩提寺となっている。 牧野家の墓所、真田家、仙石家の墓、 真田氏へ嫁いだ「小松姫」の墓、 関東郡代の「伊奈氏」の墓等々・・・ |
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鴻神社1 鴻神社は明治6年にこの近くにあった三ケ所の神社を合祀ししたもので、 鴻三社と呼ばれていた。鴻巣の総鎮守。 明治40年に鴻三社から鴻神社に名を改め現在に至っている。 祭神は氷川社・素戔嗚命、熊野社・速玉命、雷電社・別雷命を祀る。 |
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鴻神社2 「こうのす」という地名は、古代に武蔵国造であった笠原直使主が 現在の鴻巣市笠原のあたりに住んでいたとき、 この辺りを「 後に「こうのす」となり、「こうのとり」伝説から「鴻巣」の字を当てた。 |
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法要寺 山門をくぐると、あら不思議!神社で無いのに お不動様の前に一対の狛犬がある。 台座に市神街と彫られていて、かつて中山道に鎮座していた 市神様の社前にあった狛犬であった。 |
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法要寺2 法要寺には多くの文化財が残る。 新しいものでは六地蔵尊が珍しく一体一体祀られていた。 真言宗の輪廻転生思想により 地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間界、天界の守護神である。 |
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法要寺3 慈雲山医王院法要寺という真言宗智山派のお寺。 長禄元年(1457)、亮恵上人による開基と伝えられている。 本堂には行基作と伝えられている大日如来が安置されている。 江戸時代には加賀藩前田家の宿所であった。 |
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1.金鑚神社 2.児玉2 3.川本 4.深谷1 5.岡部1 6.岡部2 7.本庄早稲田 8.本庄2 9.本庄3 10.本庄4 11. 深谷2 12.深谷3 13.深谷4 14.深谷5 15.深谷6 16.深谷7 17.熊谷1(妻沼1) 18.熊谷2(妻沼2) 19.熊谷3 20.熊谷4 21. 熊谷5 22.熊谷6 23.熊谷7 24.熊谷8 25.熊谷9 26.行田1 27.行田2 28..羽生1 29.羽生2 30.加須1 31.加須2 32.加須3 33.加須4 34.加須5 35.鴻巣1 36. |
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