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宮登神社1 江戸時代には聖権現社と称し、光徳寺創建した高野僧・源楽(天長2年(825)寂)の 徳を称えて聖権現として祀った。 明治時代に箕田の氷川八幡神社を勧進して八幡社と改称。 明治40年この地の字名宮前と登戸の頭文字をとって宮登神社とした。 祭神は誉田別命で、相殿に聖権現を祀る。 |
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宮登神社2(宮登古墳) 箕田古墳群の一基で、直径20m、高さ2mの円墳。 胴張型横穴式石室で、玄室長2.9m、奥壁幅1.3m、高さ1.65m。 玄室内から多くの出土品があり、出土品から 7世紀前半〜中頃にかけての終末期古墳とみられる。 |
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聖泉寺1 補陀山聖泉寺という曹洞宗のお寺。 本尊は釈迦牟尼仏を祀る。 創建等は不詳・・・ |
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聖泉寺2 江戸時代後期の新編武蔵風土記には記載がないが、 寺伝では当地の旧家、河野権兵衛が開基となり、 寛永年間(1624〜44)に観音堂として整備して、 南叟玄寿大和尚を開山として招聘したという。 |
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放光寺1 糠田山盧遮那院放光寺という真言宗豊山派のお寺。 本尊は大日如来を祀る。 源頼朝の御旗奉行を勤めた安達藤九郎盛長(正治2年(1200)寂)が開基したとされる。 沿革その他は不明ながら、その後、僧・朝遍(寛文4年(1664)寂)が中興したという。 |
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放光寺2 安達盛長は頼朝の信頼を得て、鎌倉幕府の重鎮として、活躍し、 頼朝亡き後は源頼家のもと、「宿老13人の合議制」の一人になった。 当寺には出家して蓮西と名乗った盛長像(南北朝作)が残る。 |
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久保寺 光明山自在院久保寺という真言宗豊山派のお寺。 本尊は不動明王像。 地元領主・久保吉右衛門が開基となり、 寛永年間(1624〜43)に龍性寺として創建した。 創建当時は荒川の浸水被害にあったことから、 当地に移転、明治期には大間小学校として使用された。 |
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氷川神社(滝馬室)1 創建年代等は不詳ながら、延暦年間(782〜835)、坂上田村麻呂が東征の途次、 農作物を荒らす大蛇を退治して、頭を当社に、胴体を寺内の常勝寺に、 尾を吉見町の岩殿観音に埋めたという伝承が残り、古くから祀られてきた。 祭神は軻遇突智命、相殿に天照大神、素盞鳴命を祀る。 |
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氷川神社(滝馬室)2 当社は荒川低地を望む台地上に鎮座している。 境内の一角から清水が湧き出し、「手洗いの池」となっており、 更に滝となって注ぎ、当地一帯の耕地を潤してきた。 古くから重要な水源となっていて、村名の由来ともなった。 |
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常勝寺1 瀧蔵山密乗院常勝寺という真言宗智山派のお寺。 創建年代等は不詳ながら、7世紀の創建とも伝えられている。 文明18年(1487)銘の古碑が残る。 |
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常勝寺2 本尊は大日如来像を祀る。 薬師堂には十二神将を伴った薬師如来が安置されている。 寺内には多くの石仏石碑などが残る。 |
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常勝寺 徳川家康が関東入国に際して、寺領 15石の朱印状を拝領。 近郊に末寺6か所、門徒寺12か寺を擁する中本寺格の寺院であった。 |
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1.金鑚神社 2.児玉2 3.川本 4.深谷1 5.岡部1 6.岡部2 7.本庄早稲田 8.本庄2 9.本庄3 10.本庄4 11. 深谷2 12.深谷3 13.深谷4 14.深谷5 15.深谷6 16.深谷7 17.熊谷1(妻沼1) 18.熊谷2(妻沼2) 19.熊谷3 20.熊谷4 21. 熊谷5 22.熊谷6 23.熊谷7 24.熊谷8 25.熊谷9 26.行田1 27.行田2 28..羽生1 29.羽生2 30.加須1 31.加須2 32.加須3 33.加須4 34.加須5 35.鴻巣1 36.鴻巣2 37.鴻巣3 38. |
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