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| 専念寺1 松林山専念寺という浄土宗のお寺。 慶長元年(1596)にこの地を治めていた喜連川藩主・足利頼氏の許可を得て、 行蓮社照誉上人順哲大和尚を迎えて創建。 名族・足利家の血をつないだ喜連川足利氏の代々の子女の墓地とされる。 |
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![]() 本堂 |
![]() 本堂扁額 |
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![]() 本尊 |
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![]() 十三重層塔 |
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![]() 灯籠 |
![]() 五重石塔 |
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| 専念寺2 阿弥陀堂には鉄造の阿弥陀如来立像が安置されている。 鎌倉時代の弘安6年(1283)に鋳造されたもので、 善光寺式阿弥陀如来の鉄仏で県の文化財になっている。 |
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| 慈光寺 喜連山歓喜院慈光寺という真言宗智山派のお寺。 創建年代等は不詳ながら、日誉により開山、当初は歓喜院と称した。 永禄5年(1563)には塩谷伯耆守の祈願所となる。 本尊は不動明王で通称雨乞い不動と呼ばれ信仰を集めている。 |
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| 御霊神社 2代頼氏は源氏の領主の慣行に従い、 清水のわくところに社を作り、領民の信仰の対象とした、 飲用水として使用し、疫病や流行病を治したといわれている。 祭神はその頼氏である。 |
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| 璉光院1 創建は元和2年(1616)、恵心僧都の開基とされており、 喜連川足利氏初代・国朝が国朝の母の菩提を弔うために建立した。 国朝の母の法名が璉光院といい、これにより璉光院と呼ばれた。 |
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| 蓮光院2 境内には銅製阿弥陀如来坐像があり、貞享5年(1688)に鋳造されたもので、県の文化財になっている。 銅造釈迦牟尼仏坐像は宝暦6年(1753)に造られた。 このほか、境内には野口雨情の歌碑が残る。 雨情の妻が喜連川出身で、「梅のお寺」という詩が刻まれている。 |
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![]() 鳥居 |
![]() 石段 |
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![]() 狛犬1(吽形) |
![]() 狛犬1(阿形) |
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![]() 境内社 |
![]() 境内社扁額 |
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![]() 狛犬2(吽形) |
![]() 狛犬2(阿形) |
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![]() 拝殿 |
![]() 拝殿扁額 |
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![]() 本殿 |
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| 喜連川神社 永禄6年(1563)、塩谷15代兵部大輔惟朝が 尾張国津島牛頭天王宮の分霊を勧請して創建したという。 塩谷氏、喜連川氏代々の崇敬社で、喜連川ほか5郷の総鎮守といわれている。 夏の天王祭りは「あばれ神輿」として勇壮な祭りとして知られている。 |
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![]() 山門 |
六地蔵 |
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![]() 本堂 |
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![]() 鍾堂 |
![]() 六地蔵幢 |
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![]() 喜連川足利家墓所 |
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![]() 石仏 |
![]() 観世音菩薩 |
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| 龍光寺1 創建年代等は不詳ながら、足利尊氏が創立者という。 創建当時は東勝寺という下野国の安国寺であった。 慶長6年(1601)、喜連川左馬頭頼氏が父頼純を当山に葬り、 戒名を龍光院殿全山機公大禅定門とし、龍光院とした。 |
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| 龍光寺2 以来、喜連川足利家の菩提寺と定め、寺領50石を賜った。 墓所周辺は築堤を巡らし、総面積400㎡、石塔54基ほか石塔3基が並ぶ。 喜連川十四代にわたる藩主、御台所、嫡子等の墳墓が残る。 |
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| 東漸寺1 清浄山南光院東漸寺という時宗のお寺。 本尊は阿弥陀如来。 天正年中((1573~92)、中興其阿上人天随和尚の時、 足利左兵衛督源頼氏の命によって、この地に再興を図った。 明治になって、小学校が置かれた。 |
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東漸寺にはとんでもない実話が残る。 明治維新により職を失った仲間の恩田信之丞と高野信平の話のついでに、 お城とお寺とどちらがいつまでも燃え残るかということで口論となり、 実際に燃やしてしまおうということで建物を燃やしてしまたっと・・・ |
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| 普済寺1 三光山清光院普済寺という真言宗智山派のお寺。 永禄2年(1559)の創建。 開山は沢観音(矢板市)の大和尚・宥哲と伝える。 本尊は大日如来で文政5年(1822)の作。 |
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| 普済寺2 那須氏に属した土豪・金枝氏の祈願所として始まる。 正徳4年(1714)、宥誉法印が中興の祖となって現在地に移転した、 薬師堂に安置した薬師如来と十二神将像はその時期に開眼した。 明治6年(1873)には勧善学舎が置かれ、小学校に引き継がれた。 |
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| 東輪寺2 昭和61年から3か年で境内お堂を整備、 平成20年には平和の鐘が建立された。 境内には樹齢400年といわれるミクロジがある。 ここの六地蔵は現代風、 勤労地蔵、カラオケ地蔵、ゴルフ地蔵・・・ |
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| 栃木歴史散歩 | |||||||||||||||||||||||||||
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