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| 久伊豆神社(野牛)1 創建年代等は不明であるが、江戸時代前期には既に存在していた。 「風土記稿」には村の鎮守とある。 この地は宝永2年(1705)より新井白石の所領であった、 騎西町の玉敷神社(=久伊豆大明神)を勧請したと思われる。 |
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| 久伊豆神社(野牛)2 社殿正面の扁額「久伊豆」の文字は正徳元年(1711)に来日した 朝鮮通信使が新井白石のために書いたものです。(市文化財) 境内には御嶽神社、稲荷神社など境内社が残る。 |
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| 興善寺 岱崇山興善寺という曹洞宗のお寺。 慈覚大師によって平安時代初期に天台宗の寺として開かれた。 文亀2年(1502)、菖蒲城主二代・佐々木氏綱が中興開基となり、 李雲禅師により曹洞宗に改宗した。 |
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| 興善寺2 現在の山門は興善寺開創500年記念事業として建てられた。 四方の角に四天王を配し、二階には薬師如来を祀る。 本堂前には一対の狛犬が守る。 現在の本堂は昭和46年(1971)に再建された。 |
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| 興善寺3 江戸時代には徳川家康より15石の御朱印を頂戴している。 境内には鎌倉時代から室町時代の特徴を持つ五輪塔や 宝篋印塔、板石婆塔などが残る。 本堂前の青銅製の狛犬が印象的・・・ |
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| 白岡八幡宮 平安初期の嘉祥(849)に名僧・慈覚大師円仁が勧請したのが始まりと伝えられている。 社伝によると、康平5年(1062)源八幡太郎義家が奥州征伐の途中、戦勝祈願のため立ち寄ったといわれている。 また、建久6年(1195)源頼朝が佐々木四郎高綱を代参させるなど、源氏の守護神として崇められてきた。 末社には「湯島天満宮」の御分霊を勧請した白岡天満神社がある。 |
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| 壽楽院 太高山壽楽院おいう曹洞宗のお寺。 興善寺の末寺、釈迦如来を祀る。 元亀2年(1571)、鬼窪繁政の開基、 興善寺第三世・孝天在舜大和尚を開山として造立。 境内には薬師堂があり、墓地には鬼窪家の墓所がある。 |
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| 久伊豆神社(小久喜) 「風土記稿」には小久喜の鎮守とある。 創建年代は不明であるが、近くに壽楽院が元亀2年の開山であることから、 その頃には創建されたものと思われる。 例祭に行われる「小久喜ささら獅子舞」は市の文化財になっている。 |
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| 正福院1 白岡山正福院という真言宗智山派のお寺。 寺伝では嘉祥2年(849)慈覚大師の草創で、 本尊薬師如来は慈覚大師の作と伝わる。 建久6年(1195)、天台宗から曹洞宗に改宗している。 |
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| 正福院2 境内には宝篋印塔をはじめ多くの仏像が残る。 また、墓地周辺には正福院貝塚と呼ばれる貝塚が残る。 この貝塚群は蓮田市の綾瀬貝塚と並んで、元荒川流域の最奥の貝塚として知られている。 貝塚からは縄文時代前半(約5000年前)の住居址が発掘されている。 |
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55.幸手市2 56.幸手3 57.幸手4 58.蓮田1 59.蓮田2 60. 白岡1 61.白岡2 62. |
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